日本歴史地名大系 「今高野山」の解説
今高野山
いまこうやさん
紀州高野山金剛峯寺が
寺伝によると当山は、弘仁一三年(八二二)空海の開基と伝え、もと七堂一二院を擁したという。「芸藩通志」には、後白河法皇が高野山大塔・修法僧料として大田庄を寄進したため、高野山に擬して当山が建てられたとある。金剛峯寺は大田庄荘官に僧侶を派遣し、真言密教の宗教的権威を背景に在地支配を進め、地頭を代表とする武家勢力と拮抗したが、鎌倉末期になると、武士勢力の伸張につれて今高野山の実力も相対的に低下し、室町期には守護山名氏に押えられた。文明三年(一四七一)六月一六日の西国寺不断経修行勧進并上銭帳(西国寺文書)に「伍百文 今高野勝恵」、今高野衆として「壱貫文 惣中」「参百文 福智院」「十疋 安楽坊」とあるものの、しだいに和智(和知)氏の菩提寺化し、一地方寺院となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報