安楽院(読み)あんらくいん

日本歴史地名大系 「安楽院」の解説

安楽院
あんらくいん

今高野山一二院の一。真言宗醍醐派。本尊大日如来。もと参道の東側にあったが、本堂(県指定重要文化財)が近所の火災で一部焼損したため昭和四〇年に龍華寺御影堂の傍らに移築、室町期の四脚門はもとの位置にある。一二院のうち最後まで残った有力子院で、長禄三年(一四五九)七月七日、翌四年六月二五日の備後国大田庄年貢勘録状(高野山文書)にその名がみえる。文明三年六月一六日の西国寺不断経修行勧進并上銭帳(西国寺文書)に今高野衆として「十疋 安楽坊」とある。福島正則からは二〇石の歳米が給せられ、次の浅野氏にも踏襲された。明治二一年に一二院の一つであった成道じようどう院を合併。


安楽院
あんらくいん

[現在地名]宇佐市森山 下森山

下森山しももりやまにあり、金剛山と号し、曹洞宗。本尊は薬師如来。寺伝によれば、平田ひらた井手を開削したと伝える宇佐大宮司宇佐公通が保元年間(一一五六―五九)に創建し、初めは天台律宗であったという。元暦元年(一一八四)緒方惟栄の兵火、天正五年(一五七七)の大友氏の兵火で焼かれたが、慶安三年(一六五〇)長門功山こうざん(現山口県下関市)五世基外が平田井手関係三三ヵ村に相談して再建、このとき曹洞禅寺にしたという。


安楽院
あんらくいん

[現在地名]関城町黒子

天台宗、本尊は阿弥陀如来千妙せんみよう寺のもと塔頭で、心性しんじよう院の南に位置する。開基の詳細は不明であるが、「曼荼羅供初心用心抄」(天台書籍綜合目録)の奥書に、永徳三年(一三八三)七月八日に「於常州下妻庄東叡山千妙寺安楽坊、庭儀堂上曼荼羅供(中略)如形令類取依之、亮輸」とあり、すでに一四世紀末には成立していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の安楽院の言及

【智幽】より

…1679年(延宝7)13歳で伊勢国一乗寺順渉に仕え,翌年尾張観心院珍舞の下で剃髪。17歳のとき叡山にのぼり,西塔喜見院に住して天台を学び,84年(貞享1)妙立慈山の弟子となり,その寂後は安楽院(現,安楽律院)の霊空光謙に仕えた。霊空のあと1706年(宝永3)住持をつぎ,東叡山浄名律院ができると江戸城に謝意を言上し,日光山興雲律院が創建されると赴いて清規をつくった。…

※「安楽院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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