仏の顔も三度(読み)ほとけのかおもさんど

ことわざを知る辞典「仏の顔も三度」の解説

仏の顔も三度

どんなに穏やかな人でも、面と向かってをなでるような失礼なことを三度も繰り返されては怒りだす。これまで大目に見てきたことも、度重なればただではすまないというたとえ。

[使用例] 「もうあなた。みんなわたしが悪いんですから。」「あやまりさえすれば、それでいいと言うもんじゃない。の顔も三度という事があるぜ。何ぼ僕が甘いからッて、そうそう踏付けにばかりされたくないからな」[永井荷風*二人妻|1922~23]

[使用例] 「普通ならば、てんちょうものだが、〈〉今川古流のために忍んでおいて遣わすゆえ、以後きっとような真似致されるなよ! 仏の顔も三度と言う位なものじゃ。二度と不埒働くと、右門のまなこがピカリと光りまするぞ!」[佐々木味津三*右門捕物帖|1929]

[解説] 江戸中期から使われたことわざで、古くは「仏の顔も三度ずれば〔を〕立つ」といっていました。ことわざは、広く知られるようになると、削ぎ落とせるものはすべて削ぎ落とすのが通例で、明治期になると、ほとんどのことわざ集が「~三度」でとどめています。
 「仏」は穏やかでめったに怒ることのない者のたとえで、「も」でいっそう強調されています。用例をみると、二度までは許しても三度目はただではすまない、好に甘えるのもいいかげんにしろ、と強く警告することが多いといえるでしょう。また、口に出さなくても、何度も好意を踏みにじられたときの心理を表したり、逆に失礼なことを繰り返した際に相手の気持ちを推し量るのにも用いられます。日本語の「三」は区切りを示す象徴的な数で、実際に三度目で気持ちが大きく変わり、本当に怒って見捨てる結果につながりかねないことを示しています。

出典 ことわざを知る辞典ことわざを知る辞典について 情報

精選版 日本国語大辞典「仏の顔も三度」の解説

ほとけ【仏】 の 顔(かお)も三度(さんど)

(「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略) どんなに温和な人であっても、無法なことをたびたびされればしまいには怒る。
※浮世草子・傾城禁短気(1711)五「仏(ホトケ)の顔も三度とやらにて、いかな気の永い大臣もむっとして来て」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉「仏の顔も三度」の解説

ほとけかお三度さんど

《いかに温和な仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てるの意から》どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると怒ること。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

幸福追求権

日本国憲法 13条に保障する「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」を一体的にとらえて観念された場合の権利。アメリカの独立宣言中の,「〈天賦不可侵の権利〉のなかに生命,自由および幸福の追求が含まれ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android