仲筋村(読み)なかすずむら

日本歴史地名大系 「仲筋村」の解説

仲筋村
なかすずむら

[現在地名]多良間村仲筋なかすじ

多良間島のほぼ西半部を占める。東は塩川しゆがー村に接する。北に前泊まいどうまがあり、北方海域に水納みんな島がみえる。宮古島と石垣島を結ぶ要衝の地。多良間島三ヵ村の一。両島絵図帳に「村より小舟入江ハ子之方」とあるのはウプフッツーとよばれる前泊であろう。同絵図帳では「たらま嶋」とあるのみだが、崇禎四年(一六三一)九月二日の補任辞令書(親里家文書)に「中すしめさし」とみえ、大宮古うぷみやーく間切の中筋目差は「いるい□し」目差に叙任されている。弘光元年(一六四五)には中筋与人に中筋目差が(同年八月一〇日「補任辞令書」同文書)、隆武三年(永暦元年、一六四七)には中筋与人が多良間首里大屋子職に任じられている(同年八月二八日「補任辞令書」同文書)

仲筋村
なかしいじいむら

[現在地名]石垣市川平かびら

川平かびいら村の東部於茂登うむとう連山の北面にあった同村の小村。ナカシィジィとよぶ。北は東シナ海に面する。村域には仲筋なかすじ貝塚・ピュウツタ遺跡・ヤマバレー遺跡・同第二遺跡など、古い集落遺跡が多く分布する。集落は川平かびら湾の東岸、湾をふさぐように位置する島の対岸平地にあった(明治期八重山島各村之図)。両島絵図帳に「中筋村」とみえ、高二〇石余、川平かびいら間切のうち。崇禎元年(一六二八)の三間切制で宮良めーら間切に属し、順治八年(一六五一)の人口は桴海ふかい村・平久保ぺーぶぐ村と合せて七三人(八重山島年来記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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