日本歴史地名大系 「伊丹城跡・有岡城跡」の解説
伊丹城跡・有岡城跡
いたみじようあと・ありおかじようあと
西摂平野の中央に位置し、山陽道の要衝である伊丹に所在した中世城郭跡。文和二年(一三五三)六月日の森本基長軍忠状写(彰考館蔵北河原森本文書)に「伊丹城」とみえ、同年一月一一日伊丹(森本)基長が押寄せた南朝方を撃退した。管領細川氏の内紛が畿内で激化する永正年間(一五〇四―二一)には当城が度々合戦の場となる。同八年八月一〇日河原林(瓦林)政頼の守る
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報