日本歴史地名大系 「伊加賀村」の解説 伊加賀村いかがむら 大阪府:枚方市伊加賀村[現在地名]枚方市伊加賀〈本(ほん)町・東(ひがし)町・西(にし)町・南(みなみ)町・北(きた)町・寿(ことぶき)町・緑(みどり)町・栄(さかえ)町〉・枚方〈元(もと)町・上之(かみの)町・公園(こうえん)町〉・菊丘(きくがおか)町・菊丘南(きくがおかみなみ)町・三矢(みつや)町・高塚(たかつか)町・堤(つつみ)町・桜(さくら)町・山之上西(やまのうえにし)町・出口(でぐち)一丁目・香里(こうり)ヶ丘(おか)六丁目南東部は洪積層の丘陵台地、北西部は淀川左岸の沖積低地からなる。茨田(まんだ)郡に属し、北は泥町(どろまち)村・枚方村。古代茨田郡伊香(いかが)郷(和名抄)の地で、「行基年譜」に天平五年(七三三)伊香村に救(枚か)方院・薦田(こもだ)尼院を建立したことがみえる。中世には伊香賀(いかが)郷。「私心記」永禄三年(一五六〇)二月一日条に「伊加々口ヨリ出候テ、古堂宇見物候、号徳雲寺」、同四年一月二二日条に「伊賀々ヘ行」など度度みえる。 伊加賀村いかがむら 大阪府:大阪市生野区伊加賀村[現在地名]生野区巽東(たつみひがし)一―四丁目・巽中(たつみなか)二―三丁目渋川郡に属し、矢柄(やから)村の南にある。地形は平坦で、集落は北西部にあり、矢柄村の集落と接する。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高五三一石余、延宝年間(一六七三―八一)の河内国支配帳では「五十川村」と記され五一一石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by