伊勢山遺跡(読み)いせやまいせき

日本歴史地名大系 「伊勢山遺跡」の解説

伊勢山遺跡
いせやまいせき

[現在地名]基山町大字小倉

基山(きざん)山麓より東方に広がる丘陵南東端の洪積層中位段丘上にあり、最高所の標高四六メートル。南に伊勢山神社がある。主として古墳時代、五世紀から六世紀にかけての住居跡および祭祀遺跡である。

昭和四四年(一九六九)緊急調査が行われた(「基山町伊勢山・鳥栖市永吉遺跡」昭和四五年・佐賀県教育委員会刊)。住居跡八と貯蔵穴四が調査され、のち住居跡四が確認された。


伊勢山遺跡
いせやまいせき

[現在地名]重信町上村 西山

重信川の南岸に迫る山麓(一〇〇メートル)にある。弥生中期の土器を出土するが、まだ正式発掘調査を受けていない。

重信川の南岸沿いにはこの伊勢山遺跡をはじめ、西に津吉(つよし)(現松山市)の多数の弥生遺物包含地を控え、東には下林(しもばやし)のエギ谷(だに)の弥生前期から中期にかけての土器の出土があり、この地域には弥生中期(一世紀前後)の生活の展開があったことがしのばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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