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伊原宇三郎 いはら うさぶろう

美術人名辞典の解説

伊原宇三郎

洋画家。徳島市生。東美校卒。藤島武二師事。卒業後渡仏し、帰国して帝展で特選を受賞する等活躍。帝国美術学校(現武蔵野美大)教授、母校助教授をつとめるかたわら戦時中は従軍画家として中国、東南アジアへ赴く。戦後日本美術家連盟創立と同時に委員長となり、美術家の社会的環境の整備に尽力した。フランス政府芸術文化勲章受章。日展参与・審査員。昭和51年(1976)歿、81才。

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百科事典マイペディアの解説

伊原宇三郎【いはらうさぶろう】

洋画家。徳島市生れ。東京美術学校卒業後,フランスに留学,帰国後無所属で帝展などに出品。母校教授,日展理事などを務める。ピカソ新古典主義の影響を受けた初期の作品は,単純な色彩で重厚な量感を見せている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊原宇三郎 いはら-うさぶろう

1894-1976 大正-昭和時代の洋画家。
明治27年10月26日生まれ。藤島武二に師事し,東京美術学校(現東京芸大)在学中に帝展に入選した。大正14年由起しげ子と結婚(のち離婚)し,フランスに留学。昭和7年から母校の助教授をつとめる。24年日本美術家連盟を創立し委員長となる。昭和51年1月5日死去。81歳。徳島県出身。作品に「椅子によれる」「二人」など。

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世界大百科事典内の伊原宇三郎の言及

【明治・大正時代美術】より

…里見勝蔵(1895‐1981),前田寛治,佐伯祐三らがそうであり,彼らは木下孝則(1895‐1973),小島善太郎(1892‐1984)と一九三〇年協会を結成する。26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。しかし一九三〇年協会は第5回展をもって終わり,その継続ともいえる独立美術協会が結成されて,31年第1回展が開かれる。…

※「伊原宇三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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