日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドラン」の意味・わかりやすい解説
ドラン
どらん
André Derain
(1880―1954)
フランスの画家。6月10日パリ郊外シャトゥーに生まれる。1898~99年、パリのアカデミー・カリエールに通い、ここでマチスを知る。また1900年に同じ地区に住むブラマンクと偶然出会い、彼とアトリエを共有して制作に励む。2人はシャトゥー派ともよばれ、フォービスムの重要な母体の一つとなった。01年末から04年にかけて兵役のために制作は一時頓挫(とんざ)するが、帰還後は、シャトゥー派とマチスらとの交流の深まりとともに、急速に作風を進展させた。近年の研究では、マチスに先んじてドランが、印象派以後の種々の前衛的手法を首尾よく混合し、いち早くフォービスムのスタイルに到達したとされる。その後マチスの影響でいったん新印象主義の点描画法に深入りしたものの、それによって色彩に対するよりいっそう明晰(めいせき)な感覚を獲得したドランは、05年の夏、南仏の港町コリウールでマチスとともに過ごしてから、鮮烈な色彩を大胆に用いるフォーブの中心的な画家の1人となる。同年秋のフォービスムのマニフェスト(宣言)ともいうべきサロン・ドートンヌの第七室に彼の作品も展示された。このころの代表作に『テムズ川の落日』(1906)などがある。
しかし2、3年後、セザンヌの厳しい構築に対する傾倒や、ピカソ、ブラックらとの交友によってキュビスムに接近、主要な関心をフォルムと構成の問題に向け、一方、鮮烈な色彩は抑制されて重厚なものになる。だが彼は、キュビスムを極端に推し進めてフォルムの分解にまで至ることはなかった。その後、初期イタリア・ルネサンスの絵画やゴシック芸術、あるいはフランスの過去の画家たちの作風などに傾倒しながら独自の探究を続け、かつてのフォーブ時代の華やかさとは無縁の落ち着いた画風によって、古典的伝統を現代に引き継ぐ新古典主義者とでもいうべき立場を確立した。54年9月2日シャンブールシーで没。
[大森達次]