伊原木伍朗(読み)イバラギ ゴロウ

20世紀日本人名事典 「伊原木伍朗」の解説

伊原木 伍朗
イバラギ ゴロウ

昭和期の実業家 天満屋百貨店社長



生年
明治42(1909)年2月6日

没年
昭和35(1960)年7月9日

出生地
長野県飯田市

旧姓(旧名)
松沢

学歴〔年〕
東北帝国大学卒

主な受賞名〔年〕
勲四等瑞宝章

経歴
阪神急行電鉄に入社、同社の西宮球場の土地所有者であった天満屋百貨店主・伊原木藻平知遇を得、昭和12年にその婿養子となった。17年に岡山市会議員に当選するが、20年に養父が急死するとその後を嗣いで天満屋の4代目社長に就任戦後戦災打撃を受けた同社の復興に奔走し、百貨店の広島県進出・我が国初の百貨店セントラル・バスステーションの営業などを行った。その傍ら、23年から35年まで約13年間に渡って岡山商工会議所会頭を務めたのをはじめ、岡山県商店会会長・関西経済団体連合会常任理事・日本経営者団体連盟理事などを歴任。観光開発や文化事業にも力を尽くし、28年文化ホール葦川会館を建設した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊原木伍朗」の解説

伊原木伍朗 いばらぎ-ごろう

1909-1960 昭和時代後期の実業家。
明治42年2月6日生まれ。昭和12年伊原木家の養子となり,20年岡山市の天満屋(てんまや)百貨店の社長をつぎ,福山市,広島市への進出をすすめる。24年岡山店の敷地内に全国初のバスターミナル開設。岡山商工会議所会頭,岡山県観光協会会長などをつとめた。昭和35年7月9日死去。51歳。長野県出身。東北帝大卒。旧姓は松沢。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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