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伊達持宗 だて もちむね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊達持宗 だて-もちむね

1393-1469 室町時代の武将。
明徳4年生まれ。伊達政宗(まさむね)(大膳大夫(だいぜんのだいぶ))の孫。応永20年陸奥(むつ)信夫郡(福島県)大仏(だいぶつ)城(のちの福島城)で挙兵,鎌倉公方(くぼう)方の畠山国詮(くにあき)とたたかう。のち伊達郡(福島県)梁川(やながわ)城を本拠に勢力を拡大。和歌をよくした。応仁(おうにん)3年1月8日死去。77歳。幼名は松犬丸。初名は泰宗。法名は円宗。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

伊達持宗

没年:文明1.1.8(1469.2.19)
生年:明徳4(1393)
室町時代の武将。氏宗の子。幼名松犬丸。兵部少輔,大膳大夫,五位下。将軍足利義持の1字をもらって諱とする。応永20(1413)年持宗,懸田定勝が隣接する信夫庄へ進出しようとしたのに対し,そこに本拠を持つ二階堂氏が鎌倉公方足利持氏に援軍を要請したのに端を発して乱が起こる。この乱は大仏城(福島市)が落城して収まる。こののち,持宗は梁川城を本拠とし,33年梁川八幡宮を造営,嘉吉1(1441)年祖母蘭庭尼(9代政宗夫人)の菩提を葬うため輪王寺を創建。寛正3(1462)年から4年にかけて上洛。子の郡宗を留守氏に入嗣,娘を石川氏に嫁す。

(伊藤清郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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