朝日日本歴史人物事典 「伊達持宗」の解説
伊達持宗
生年:明徳4(1393)
室町時代の武将。氏宗の子。幼名松犬丸。兵部少輔,大膳大夫,五位下。将軍足利義持の1字をもらって諱とする。応永20(1413)年持宗,懸田定勝が隣接する信夫庄へ進出しようとしたのに対し,そこに本拠を持つ二階堂氏が鎌倉公方足利持氏に援軍を要請したのに端を発して乱が起こる。この乱は大仏城(福島市)が落城して収まる。こののち,持宗は梁川城を本拠とし,33年梁川八幡宮を造営,嘉吉1(1441)年祖母蘭庭尼(9代政宗夫人)の菩提を葬うため輪王寺を創建。寛正3(1462)年から4年にかけて上洛。子の郡宗を留守氏に入嗣,娘を石川氏に嫁す。
(伊藤清郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報