会津中街道(読み)あいづなかかいどう

日本歴史地名大系 「会津中街道」の解説

会津中街道
あいづなかかいどう

会津若松城下から江戸への道筋の一つで、白河へ出る会津東街道と今市宿へ出る会津西街道に対して中街道とよばれる。会津側で松川組一三ヵ村から五〇軒ほどが集められ、新宿がたてられ野際のぎわ新田とよんだため、松川まつかわ通・野際通ともいう。天和三年(一六八三)会津西街道が水没して通行不能になったため、年間一〇万俵にのぼる藩の江戸廻米や諸荷物の輸送のため開削された。那須岳の北西肩のおお(標高一四六八メートル)を越し、三斗小屋さんどごや(現黒磯市)を通る急峻な山道は、古くから那須岳の温泉湧出口の白湯はくゆ山信仰の会津や下野国の信者に利用されてきた。この道は会津西街道より約二〇キロも短いため、すでに万治二年(一六五九)会津藩で改修を試みようとしている。元禄八年(一六九五)から始められた新道の造成は、会津藩の財政難のため、人足五万人分の扶持米と諸経費一千五〇〇両の見込で、入札制により町人に請負わせることとした。会津若松の町人横山九兵衛が落札、同年の年貢米輸送時には完成し利用された。同九年四月藩主松平正容はここを通過して参勤出府し、これが初めての公式利用となる。翌一〇年の帰国にも、同一一年の出府にも、会津藩主はこの道を利用している。しかしその際の人馬動員が、利用されなくなった会津西街道に課せられたため、反対運動が起こっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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