会津布引山(読み)あいづぬのびきやま

日本歴史地名大系 「会津布引山」の解説

会津布引山
あいづぬのびきやま

猪苗代湖の南西方向にあり、湖北の村々より眺望すると東西に長く布を引いたように平らに見えるので布引山という。白河布引山に対し会津布引山という。近世には会津郡と安積あさか郡および一部岩瀬郡にも及び、昔より山麓数ヵ村の入会の山である。猪苗代兼載の歌に「三年へてをりをり見たる布引を今日たちそめていつか来て見む」とあり、「新編会津風土記」は「山深く木立茂り山竹多し、村民筍を採る者往々帰路を失ふ故、所々に火を焼置て山に入る」と記している。頂上が平坦なため、白河藩会津藩がしばしば境界争論を起こした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「会津布引山」の意味・わかりやすい解説

会津布引山
あいづぬのびきやま

福島県中央部にある山。標高1081メートル。猪苗代(いなわしろ)湖の南約10キロメートル、会津若松市郡山市(こおりやまし)、岩瀬郡天栄村(てんえいむら)の境界付近にある。第四紀初めに噴出した石英安山岩質溶結凝灰岩からなる。わずかに東に傾斜した広大な溶岩台地で、猪苗代湖北岸からみると布を引いたように滑らかな稜線(りょうせん)が望まれ、名称由来が納得できる。山頂付近では高冷地野菜づくりが行われている。

[中村嘉男]

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