伴野城跡(読み)とものじようあと

日本歴史地名大系 「伴野城跡」の解説

伴野城跡
とものじようあと

[現在地名]佐久市大字野沢 居屋敷

野沢村の北隅にある。土居をもって囲まれ、東西七四―八五メートル、南北一一〇メートルの長方形で、館門のあった南方と東方の南半分の土居は壊され、東西に入口が設けられて形は変わったが、西南の隅の物見櫓跡と思われる高地外周の堀跡の原位置は残された。鎌倉時代の土豪の居館跡として模式的なものとみられる。室町から戦国時代にかけてこの館跡を本丸とし、二の丸・三の丸・出丸等も設け、土居を築き更に堀をめぐらすなど順次規模は拡大されたものとみられる。現在、外周の堀跡の一部は用水路として利用されて残る。館跡の鬼門にあたる東北数町には、かつて八幡宮が祀られていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む