出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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佐々木市蔵(初代)
没年:明和5.2(1768)
生年:生年不詳
江戸中期の常磐津節の三味線方。初名梅津(都)見馬,前名初代佐々木幸八。鳥羽屋三右衛門の門下で,はじめ河東節の三味線方であったが,享保19(1734)年宮古路豊後掾の再東下に際し,幸八を名乗って相方となった。豊後掾の帰京後は宮古路文字太夫(のち初代常磐津文字太夫)の三味線方となり,常磐津節成立と同時に市蔵となって初代文字太夫をもり立て,常磐津節発展に功を尽くした。「道成寺道行」の最初である「駒鳥恋関札」をはじめ,市蔵の没年までは,初代文字太夫の語った浄瑠璃の三味線手付はこの人によるものであった。<参考文献>竹内道敬・根岸正海『竹内道敬寄託文庫目録(その1)宮古路節』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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佐々木市蔵(2代) ささき-いちぞう
1798-1861 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
寛政10年生まれ。常磐津(ときわず)節。3代岸沢式佐の門弟で,文政4年江戸市村座で初舞台。天保(てんぽう)11年2代佐々木市蔵を襲名した。「お三輪」「堀川」などを作曲。弟子に3代鳥羽屋里長(とばや-りちょう)らがいる。万延2年2月8日死去。64歳。本名は西村徳蔵。初名は岸沢八五郎。前名は岸沢市蔵(造)。
佐々木市蔵(初代) ささき-いちぞう
?-1768 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
初代鳥羽屋(とばや)三右衛門の弟子で江戸節の三味線方であったが,宮古路豊後掾(みやこじ-ぶんごのじょう)の相方をつとめ,のち常磐津(ときわず)節の創始者初代常磐津文字太夫(もじたゆう)の立(たて)三味線をつとめた。明和5年2月死去。初名は梅津(都)見馬。前名は初代佐々木幸八。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の佐々木市蔵の言及
【老松】より
…【横道 万里雄】(2)三味線声曲の曲名。常磐津節は秦の始皇帝の故事を扱い,佐々木市蔵作曲。常磐津創立時の曲。…
【岸沢式佐】より
…常磐津節三味線方岸沢派家元。初世[常磐津文字太夫]の三味線方は初世佐々木市蔵であったが,1768年(明和5)市蔵没後後継者争いが起こり,佐々木派は文字太夫と決別,代わって初世岸沢式佐が文字太夫の三味線方となった。(1)初世(1730‐83∥享保15‐天明3) 宮古路数馬太夫の三味線方右和佐古式部(うわさこしきぶ)の門弟で,初め佐々木古流・常磐津志妻太夫に従っていたが,のちに文字太夫の三味線方となり,69年に立三味線となって岸沢古式部と改名。…
【常磐津節】より
…流祖[宮古路豊後掾]は帰京してしまうが,江戸にとどまった有力な門弟のうち,豊後掾の養子となった宮古路文字太夫は43年(寛保3)から再び劇場に出演し,豊後節にくふうを加えて一流を創始した。47年(延享4)姓を関東としたが幕府より差し止められ,再度改めて[常磐津文字太夫]を名のり,志妻,小文字両太夫,三味線初世佐々木市蔵を連れて中村座に出演,ここに常磐津節が成立した。
[展開]
常磐津節成立の翌年,常磐津小文字太夫は独立して[富本]節を創始,以後両者はつねに勢力を競うことになる。…
※「佐々木市蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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