明烏(読み)あけがらす

精選版 日本国語大辞典 「明烏」の意味・読み・例文・類語

あけ‐がらす【明烏】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 夜明けがたに鳴く烏。また、その声。近世、男女の朝の別れの情緒を表現するのに用いられた。
      1. [初出の実例]「我はこれより城内へとまたも畳を、明烏かはい、かはいの声につれ」(出典:浄瑠璃・近江源氏先陣館(1769)九)
    2. 墨をいう、てきや、盗人仲間の隠語。からす。〔日本隠語集(1892)〕
    3. 秋田県大館の名物菓子。同地方に産するクルミの実を小さく切って、琥珀糖(こはくとう)に練り合わせて、三センチメートルほどにした練り菓子。その切り口のクルミの実が、明け方の空を飛ぶ烏のように見えるというところからいう。
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] ( あけ烏 ) 俳諧集。一巻。蕪村七部集の一つ。安永二年(一七七三)刊。高井几董(きとう)編。蕪村とその門下発句を集めたもの。
    2. [ 二 ] 江戸時代、明和六年(一七六九)江戸三河島で新吉原蔦屋の遊女三吉野と浅草蔵前伊勢屋の伊之助が心中した事件をうたった浄瑠璃曲名の通称。新内節明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)」の好評によって、清元、常磐津義太夫などでも作曲された。二人の名を浦里時次郎に変えたことから「浦里時次郎」とも呼ばれる。
      1. 新内節。初世鶴賀若狭掾(わかさのじょう)作詞作曲。本名題「明烏夢泡雪」。
      2. 清元節。三世桜田治助作詞。清元千蔵作曲。本名題「明烏花濡衣(あけがらすはなのぬれぎぬ)」。嘉永四年(一八五一)江戸市村座初演
      3. 義太夫節。本名題「明烏六花(雪)曙(あけがらすゆきのあけぼの)」。嘉永六年(一八五三)大坂竹本綱太夫座の操り芝居で初演。
      4. 落語。堅物すぎる若旦那時次郎が、だまされて吉原に連れてゆかれたおかしみを演じる郭話(くるわばなし)

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改訂新版 世界大百科事典 「明烏」の意味・わかりやすい解説

明烏 (あけがらす)

(1)歌舞伎舞踊。新内と清元が有名。1772年(安永1)初世鶴賀若狭掾が作曲した《明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)》が新内の名曲として流布し,1851年(嘉永4)2月江戸市村座の《仮名手本忠臣蔵》8段目の裏に,清元に移した《明烏花濡衣》として舞台に上り,同年3月大坂筑後の芝居(大西の芝居)で新内で演じられた。以後53年大坂浜の操り芝居で義太夫《明烏雪の曙》,のちの《明烏六花曙》になり,新内《明烏后真夢(のちのまさゆめ)》,常磐津《夢泡雪》,同名異曲《新明烏》が作られた。実際の情死事件の劇化で,〈上の巻〉山名屋浦里の部屋の場で時次郎との情痴をしっぽりと見せる。〈下の巻〉同中庭の雪責めで浦里がせっかんされ実子の禿(かむろ)みどりがからむ愁嘆ののち,塀を乗りこえた時次郎と共に逃れる。
浦里・時次郎
執筆者:(2)落語。新内《明烏夢泡雪》や人情本《明烏後正夢(あけがらすのちのまさゆめ)》の発端の落語化。堅物の時次郎が商用も果たせないと,父親が源兵衛と多助に軟化教育を依頼する。2人は時次郎を吉原へつれてゆくが,時次郎が帰るというので,1人だけ帰ると大門(おおもん)で捕まるとおどして泊める。女にもてた時次郎が,朝になっても帰ろうとしないので,2人だけで帰ろうとすると,〈あなた方,先へ帰れるもんなら帰ってごらんなさい。大門でとめられるから〉と時次郎。ぶっつけ落ち。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明烏」の意味・わかりやすい解説

明烏(浄瑠璃新内節)
あけがらす

浄瑠璃(じょうるり)新内節、およびこれをもとにした音曲、戯曲などの題名。新内節の本名題は『明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)』で、1772年(安永1)初世鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)作詞・作曲。3年前(明和6)に江戸・三河島で吉原蔦屋(つたや)の遊女三吉野と浅草蔵前伊勢屋(いせや)伊之助(幕府の御賄方(おまかないかた)伊藤家の息子ともいう)が情死した事件を、山名屋浦里(やまなやうらざと)と春日屋(かすがや)時次郎の情話として脚色したもの。哀調を帯びた曲と内容が江戸市中の人気を集め、新内節の代表曲となった。その流行に影響され、他の音曲にも多くつくられたが、なかでも有名なのは清元の『明烏花濡衣(はなのぬれぎぬ)』。1851年(嘉永4)2月江戸・市村座で8世市川団十郎の時次郎と初世坂東しうかの浦里により劇化上演されたときの浄瑠璃で、作詞は3世桜田治助。その脚本は後世に残り、時次郎に操を立てる浦里が、雪中でやり手に折檻(せっかん)される「雪責め」が見せ場である。ほかに常磐津(ときわず)の『明烏夢泡雪』、義太夫(ぎだゆう)の『明烏六花曙(ゆきのあけぼの)』、富本の『明烏写一筆(ちょっとひとふで)』などがあり、また小説では滝亭鯉丈(りゅうていりじょう)、為永春水(ためながしゅんすい)ら作の『明烏後正夢(のちのまさゆめ)』(1819~1824)が新内「明烏」の後日談で、人情本の最初の作品として知られている。

[松井俊諭]


明烏(落語)
あけがらす

落語。廓噺(くるわばなし)の代表作。日向(ひゅうが)屋半兵衛のせがれ時次郎は、あまりにもまじめすぎるので父親が心配していた。ある日源兵衛と多助が、観音様の裏の稲荷(いなり)にお籠(こも)りに行こうと時次郎を誘いにきたので、半兵衛はせがれに金を持たせて出してやった。吉原とは知らずについて行った時次郎は、登楼してから女郎屋とわかり、あわてて帰るといいだしたので、源兵衛と多助は、3人で大門をくぐったものが1人だけ帰ると大門の番所で止められて縛られると脅かした。あきらめて泊まった時次郎の相方(あいかた)は18歳で美人の浦里(うらざと)。翌朝、相方にふられた源兵衛と多助が時次郎を起こしに行くと、時次郎はなかなか起きてこない。2人が帰るというと時次郎が「あなたがた、先に帰れるものなら帰ってごらんなさい。大門で止められる」。

 この噺は、新内『明烏夢泡雪(ゆめのあわゆき)』、人情噺『明烏後正夢(のちのまさゆめ)』の発端を一席物にまとめて落ち(サゲ)をつけたもので、8代目桂文楽(かつらぶんらく)が練り上げた。

[関山和夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明烏」の意味・わかりやすい解説

明烏
あけがらす

三味線音楽,舞踊劇の曲名。新吉原の遊女三芳野と江戸の町人伊之助の心中を脚色。
(1) 新内節端物『明烏夢泡雪 (ゆめのあわゆき) 』の通称。安永年間,1世鶴賀若狭掾の作。
(2) 清元節『明烏花濡衣 (はなのぬれぎぬ) 』の略称。 (1) の舞踊劇化。3世桜田治助作詞,清元太兵衛 (2世清元延寿太夫の後名) 作曲 (一説に清元千蔵とも) 。嘉永4 (1851) 年江戸市村座初演。
(3) 新内節端物『明烏後正夢 (のちのまさゆめ) 』。安政4 (1857) 年1世富士松魯中作。 (1) の後編ともいえ,通称『正夢』あるいは『浦里時次郎道行』。

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百科事典マイペディア 「明烏」の意味・わかりやすい解説

明烏【あけがらす】

新内節の曲名。本名題《明烏夢泡雪(ゆめのあわゆき)》。1772年初世鶴賀若狭掾作詞・作曲。遊女浦里と金に詰まって死を覚悟した時次郎の悲恋を描いたもの。明烏といえば普通これをさす。その続編は本名題《明烏后真夢(のちのまさゆめ)》。富士松魯中作曲。なお清元節にも《明烏花濡衣(はなのぬれぎぬ)》がある。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「明烏」の解説

明烏
(通称)
あけがらす

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
明烏花濡衣 など
初演
嘉永4.1(江戸・市村座)

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デジタル大辞泉プラス 「明烏」の解説

明烏

古典落語の演目のひとつ。人情ばなし「明烏後正夢」の発端部分を落語としたもの。八代目桂文楽が得意とした。オチは考えオチ。主な登場人物は、若旦那。

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世界大百科事典(旧版)内の明烏の言及

【真夢】より

…新内節の曲名。本名題《明烏後真夢(あけがらすのちのまさゆめ)》。〈正夢〉とも書く。…

※「明烏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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