改訂新版 世界大百科事典 「佐伯全成」の意味・わかりやすい解説
佐伯全成 (さえきのまたなり)
生没年:?-757(天平宝字1)
奈良時代の官人。系譜不詳。749年(天平勝宝1)陸奥介在任時に,産金の功により叙位,753年陸奥守となり,757年には陸奥鎮守副将軍を兼ねるなど,陸奥国との関係が密接であった。また752年の東大寺大仏開眼会には,大伴伯麻呂(おじまろ)とともに大伴・佐伯両氏の伝統に従って久米舞の舞頭を奉仕している。757年7月に,光明皇太后,藤原仲麻呂の政権打倒をはかる橘奈良麻呂の変がおこるが,全成はかねて橘諸兄・奈良麻呂父子と交渉があり,745年(天平17)以来,大伴・佐伯両氏の武力に頼ろうとする奈良麻呂から,再三にわたり陰謀への参加を働きかけられた。しかし全成は,佐伯氏の祖先以来の道にそむくとしてこれに従わなかったという。変時は従五位上陸奥守として任地にあり,勅使の勘問を受け,陳述を終わったのちに自殺した。
執筆者:笹山 晴生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報