佐伯矩(読み)サエキ タダス

20世紀日本人名事典 「佐伯矩」の解説

佐伯 矩
サエキ タダス

明治〜昭和期の栄養学者



生年
明治9年9月1日(1876年)

没年
昭和34(1959)年11月29日

出生地
愛媛県新居郡氷見(現・西条市氷見)

学歴〔年〕
第三高等学校医学部〔明治31年〕卒,京都帝国大学医科大学

学位〔年〕
Ph.D.(エール大学)〔明治38年〕,医学博士〔明治45年〕

主な受賞名〔年〕
コマンドール・アル・メリト勲章(チリ政府)〔昭和6年〕,保健文化賞〔昭和29年〕

経歴
三高時代に生涯の師となる生化学者・荒木寅三郎と出会い、新陳代謝や栄養摂取など食生活に関する研究に没頭。明治35年内務省伝染病研究所に入所北里柴三郎の下で大根から消化酵素“ラファヌスジアスターゼ”を発見。38年エール大学留学。のちヨーロッパ遊学を経て、44年帰国。大正3年私立栄養研究所創設、9年国立栄養研究所を開設し所長。13年国立栄養療院を設置し院長となり、15年退官。この間、10年栄養学会を創立、また13年には佐伯栄養学校を開設するなど日本における、栄養学研究・公衆栄養行政の創始者として国内外で活躍した。著書英文の「世界の平和」「日本における栄養科学の進歩」などがある。文部省に“営養”を“栄養”に改めることを建言して“栄養”という言葉を定着させた他、“偏食”“栄養食”などの言葉を生み出した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐伯矩」の解説

佐伯矩 さえき-ただす

1876-1959 明治-昭和時代の栄養学者。
明治9年9月1日生まれ。三高医学部(現岡山大)卒業後,北里柴三郎(しばさぶろう)に師事し,アメリカのエール大で博士号をとる。大正3年私立栄養研究所を創設。9年新設の国立栄養研究所の所長となる。13年栄養士養成のため佐伯栄養学校をつくった。昭和34年11月29日死去。83歳。愛媛県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android