荒木寅三郎
あらきとらさぶろう
(1866―1942)
医学者。群馬県出身。1887年(明治20)東京帝国大学医科大学別課を卒業。一時故郷で医業を開いたが、ほどなく母校の生理学教室の助手となった。1889年ドイツに留学、ストラスブール大学でホッペ・ザイラーに師事、生理化学を研究した。1895年帰国、翌1896年第三高等学校医学教授となり、1897年主論文「ヒトサンについて」で医学博士となった。1899年京都帝国大学医科大学教授となり、1915年(大正4)京大総長になるまで16年間、医化学講座を担任した。学習院院長、枢密顧問官を歴任。帝国学士院会員、京大名誉教授。日本における医化学の先駆であり、乳酸の生体内生成の研究はよく知られ、門下からは古武弥四郎(こたけやしろう)(1879―1968)ら多くの人材が輩出した。
[大鳥蘭三郎]
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荒木寅三郎 (あらきとらさぶろう)
生没年:1866-1942(慶応2-昭和17)
生化学者。群馬県出身。帝国大学医科大学別科卒業,ドイツに留学しF.ホッペ・ザイラーに就く。第三高等学校医学部教授を経て,1899年京都大学医学部の初代の医化学教授となり,東大の隈川宗雄とともに,日本に生化学を独立せしめ今日の同学の隆盛の基礎を築いた。生体内乳酸生成の研究が有名。京大在任30年に及び,医科大学長,総長に就任するなど,同大学の発展に尽くした。のち学習院長となる。1922年第6回日本医学会総会会頭をつとめた。帝国学士院会員,枢密顧問官。弟子に古武弥四郎などがいる。
執筆者:長門谷 洋治
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荒木寅三郎
あらきとらさぶろう
[生]慶応2(1866).10.17. 群馬
[没]1942.1.28. 東京
医学者。 1887年帝国大学医科大学別科を卒業。 89年ヨーロッパに留学,ストラスブール大学で H.ザイラーに学び,95年帰国。翌年第三高等学校医学部教授となり,97年東京帝国大学より医学博士の学位取得。 99年京都帝国大学医科大学医化学教授。 1903年同学長。 15~29年総長を歴任。 29年学習院院長。 19年帝国学士院会員に,37年枢密顧問官に選出された。
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荒木寅三郎 あらき-とらさぶろう
1866-1942 明治-昭和時代前期の生化学者。
慶応2年10月17日生まれ。ドイツ留学後,明治32年京都帝大教授となり大正4年同大総長。のち学習院院長,枢密顧問官をつとめた。生体内乳酸生成などの研究で知られる。昭和17年1月28日死去。77歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。帝国大学卒。著作に「日本産科学史」「存稿」など。
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