日本歴史地名大系 「佐喜浜村」の解説
佐喜浜村
さきのはまむら
延久二年(一〇七〇)七月八日付の金剛頂寺解案(東寺百合文書)に「佐貴河」とみえるのが現佐喜浜川のことで、以後、佐貴郷・崎・佐喜・佐貴浜庄などの表記がみえ、天正一七年(一五八九)の長宗我部地検帳は表題に「佐貴浜村地検帳」とある。江戸時代以降も表記は佐喜浜・崎之浜・咲ノ浜浦などと一定せず、明治以後佐喜浜に統一され、入木・尾崎の両枝村を併せて佐喜浜村となった。
平安時代、浜伝いに船で室戸岬を回って帰京した紀貫之は、佐喜浜の湊で一泊したはずだといわれるが、「土佐日記」にはその記載はない。その後空海修行のゆかりで開かれた
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報