佐喜真 興英
サキマ コウエイ
大正期の沖縄研究者,民俗研究家 岡山県津山区裁判所判事。
- 生年
- 明治26(1893)年10月26日
- 没年
- 大正14(1925)年6月13日
- 出生地
- 沖縄県宜野湾間切新城村(現・宜野湾市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔大正9年〕卒
- 経歴
- 大正9年法曹界に入り、福岡、宮崎、津山などで判事を務めた。一方、早くから民俗学に関心を持ち、沖縄古代社会の女人支配に照明を当てた主著「女人政治考」は大学在学中に初稿を書き上げ、没後柳田國男の序を付して出版された。また、郷里である新城の説話を収録して民俗誌を著し、沖縄研究開拓者の一人といわれる。他の著書に「南島説話」(11年)、「シマの話」(14年)、「佐喜真興英全集」(全1巻)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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佐喜真興英
没年:大正14.6.13(1925)
生年:明治26.10.26(1893)
大正期の沖縄研究者・民族学者。沖縄本島中部の宜野湾に生まれる。一高から東京帝国大学法学部に進み,卒業後,判事として勤務するかたわら民族学の研究に没頭した。バッハオーフェンなどの進化主義人類学の影響を強く受け,短い生涯のなかで沖縄や民族学に関するすぐれた著作・論文を発表した。女権の問題を検討した『女人政治考』は柳田国男の激賞を受け,邪馬台国の女王卑弥呼の解釈に強い影響をおよぼした。<著作>佐喜真興英全集』全1巻
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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佐喜真興英 さきま-こうえい
1893-1925 明治-大正時代の民俗研究家。
明治26年10月26日生まれ。福岡や宮崎で判事をつとめるかたわら,民族・民俗学を研究。沖縄の民俗誌「南島説話」,古代社会の女性に関する「女人政治考」(遺稿)などの著作をのこした。大正14年6月13日死去。33歳。沖縄県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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佐喜真 興英 (さきま こうえい)
生年月日:1893年10月26日
大正時代の民俗学者;裁判官
1925年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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