20世紀日本人名事典 「佐藤功一」の解説
佐藤 功一
サトウ コウイチ
大正・昭和期の建築家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大正・昭和期の建築家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
建築家。栃木県生まれ。1903年(明治36)東京帝国大学工科大学建築学科卒業。三重県技師、宮内省内匠(たくみ)寮御用掛を経て、辰野金吾(たつのきんご)の推挙により早稲田(わせだ)大学の建築学科創設に参加。10年教授となり、同年開設された早稲田工手学校の建築主任も兼務。18年(大正7)に建築設計事務所を設立し、21年には早稲田大学を退職して、設計活動に重点を置くとともに日本女子大学教授などを務めた。おもな作品に早稲田大学大隈(おおくま)記念講堂(1927)、日比谷(ひびや)公会堂(1929)、マツダビル(1934)、帝国林野局(1937)などがある。
[天田起雄]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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