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辰野金吾 たつのきんご

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

辰野金吾
たつのきんご

[生]嘉永7(1854).8.22. 唐津
[没]1919.3.25. 東京
建築家,工学博士。仏文学者辰野隆の父。ヨーロッパの工業技術輸入のため政府が招いた建築技師ジョサイア・コンドルに師事し,1879年に工部大学校造家学科第1期生として卒業。イギリスに留学し,コンドルの師,ウィリアムバージェズ事務所で修業。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

辰野金吾

1854~1919。現在の佐賀県唐津市出身。工部大学校(現東京大学工学部)で、英国人建築家に学ぶ。「日本近代建築の父」と言われ、東京駅のほか日本銀行本店などを手がける。西洋建築が中心で、武雄温泉楼門のような和風建築は珍しいとされる。

(2013-04-20 朝日新聞 朝刊 東京都心 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

たつの‐きんご【辰野金吾】

[1854~1919]建築家。佐賀の生まれ。英国に留学。明治から大正の建築界に指導的役割を果たし、日本建築学会会長などを歴任。作品に日本銀行本店旧館・東京駅などがある。

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百科事典マイペディアの解説

辰野金吾【たつのきんご】

日本近代建築の先覚者。肥前国唐津に生まれる。東大でコンドルに建築を学んだ後,英国に留学。後東大教授として,また設計者として明治・大正建築界に貢献。門弟に伊東忠太関野貞大熊喜邦らがいる。
→関連項目国技館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

辰野金吾 たつの-きんご

1854-1919 明治-大正時代の建築家。
嘉永(かえい)7年8月22日生まれ。辰野隆(ゆたか)の父。イギリスに留学し,帰国後帝国大学工科大学教授,のち工科大学長をつとめる。退官後は設計者として建築界に貢献した。代表作に日本銀行本店,東京駅など。大正8年3月25日死去。66歳。肥前唐津(佐賀県)出身。工部大学校(現東大)卒。旧姓は松倉。

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朝日日本歴史人物事典の解説

辰野金吾

没年:大正8.3.25(1919)
生年:嘉永7.8.22(1854.10.13)
明治大正期の代表的建築家。建築教育にも大きな足跡を残した。唐津藩(佐賀県)藩士姫松倉右衛門の次男。唐津生まれ。明治1(1868)年,辰野宗安の養嗣子となる。同5年,出京。翌年,新たに設立された工部省工学寮に入学した。ここで,お雇い外国人教師コンドルの指導を受ける。12年,工部大学校(工学寮の名称変更)の第1回卒業生として卒業。造家学科の卒業生4名の中の首席であった。留学を申し付けられ,13年,ロンドンに出発,同地のバージェス建築事務所などで建築を研修,フランス,イタリアを回って16年に帰国。同年,工部省に奉職,処女作銀行集会所(1885)の設計を行う。17年,工部大学校教授に就任。19年,辰野建築事務所を設立した。この年,工部大学校は帝国大学工科大学に吸収,再編成され,同校の教授となった。以降,35年の退官まで多くの優れた建築家を育てた。明治21年,日本銀行の設計者に決定。この準備のため渡欧し翌年帰国。31年,建築学会会長,工科大学長に就任した。辰野建築事務所(のちの辰野葛西建築事務所,辰野片岡建築事務所)が設計した作品は228件にもおよぶといわれ,まさに明治・大正の建築界を席巻したといえよう。作品の一例に,日銀本店(1896),両国国技館(1909),東京中央停車場(東京駅,1914)がある。フランス文学者辰野隆は長男。<参考文献>白鳥省吾編『工学博士辰野金吾伝』,藤森照信「国家のデザイン」(『日本の建築[明治・大正・昭和]』3巻)

(清水慶一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たつのきんご【辰野金吾】

1854‐1919(安政1‐大正8)
建築家。肥前国唐津に生まれる。工部大学校造家学科でコンドルの教えをうけ,1879年同校を卒業。渡英し,主としてバージェスW.Burgesのもとで設計を修業する。帰国後,84年東京帝国大学工科大学教授となり,伊東忠太,関野貞ら後進を育てる一方で,86年新興建設資本と協力して造家学会(後の建築学会)を結成した。明治中期以降の創成期日本近代建築界を主導し,その性格を決定づけた。また,東京や大阪に建築事務所を開設,多くの作品を設計建築する。

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大辞林 第三版の解説

たつのきんご【辰野金吾】

1854~1919) 建築家。肥前の人。工部大学校卒。コンドルに学び、1884年(明治17)帝国大学工科大学教授。代表作に日本銀行本店・東京駅などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

辰野金吾
たつのきんご
(1854―1919)

明治・大正時代日本建築界の元勲とされる。安政(あんせい)元年8月22日、唐津(からつ)藩(佐賀県)に下級武士の次男として生まれる。工学寮を経て1879年(明治12)工部大学校造家学科(現、東京大学建築学科)第1回生として首席で卒業。翌1880年、イギリス留学を命じられ1883年帰国、1884年から工部大学校に日本建築の講座を設けて担当する。以来、近代日本の建築界を指導し、数多くの建築家を育成したほか、教育界、建設界にも業績を残している。1898年帝国大学工科大学長となり1902年(明治35)退官。建築学会会長、議院建築調査会委員を歴任したほか、辰野葛西(かさい)建築事務所(東京)、辰野片岡建築事務所(大阪)を開設、日本銀行本店、東京駅、旧両国国技館をはじめとする日本近代建築史上重要な作品を手がけている。大正8年3月25日没。なお長男はフランス文学者、随筆家の辰野隆(ゆたか)[村松貞次郎・藤原恵洋]
『藤森照信著『日本の建築 明治大正昭和3 国家のデザイン』(1979・三省堂)』

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世界大百科事典内の辰野金吾の言及

【東京駅】より

…87年の国鉄の分割・民営化により,JR東日本とJR東海の両社が区分して所有するようになった。【村山 繁樹】
[建築]
 現在の丸の内側の東京駅は,辰野金吾と葛西万司により設計された。当初は鉄骨煉瓦造3階建て,長さ320mで南北両端に丸ドームのある左右対称の建築で,様式はカイペルス設計のアムステルダム中央駅がモデルといわれる。…

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