辰野金吾(読み)タツノキンゴ

デジタル大辞泉 「辰野金吾」の意味・読み・例文・類語

たつの‐きんご【辰野金吾】

[1854~1919]建築家佐賀の生まれ。英国留学明治から大正の建築界に指導的役割を果たし、日本建築学会会長などを歴任。作品に日本銀行本店旧館・東京駅などがある。

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精選版 日本国語大辞典 「辰野金吾」の意味・読み・例文・類語

たつの‐きんご【辰野金吾】

  1. 明治時代の建築家。肥前の人。工学博士工部大学校造家学科第一回の卒業生。二度にわたりヨーロッパに留学。東京帝国大学教授。多くの建築家を養成し、西洋建築の導入に大きな功績を残した。代表作に「旧東京駅(焼失)」「日本銀行(旧館)」などがある。安政元~大正八年(一八五四‐一九一九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「辰野金吾」の意味・わかりやすい解説

辰野金吾
たつのきんご
(1854―1919)

明治・大正時代の日本建築界の元勲とされる。安政(あんせい)元年8月22日、唐津(からつ)藩(佐賀県)に下級武士の次男として生まれる。工学寮を経て1879年(明治12)工部大学校造家学科(現、東京大学建築学科)第1回生として首席で卒業。翌1880年、イギリス留学を命じられ1883年帰国、1884年から工部大学校に日本建築の講座を設けて担当する。以来、近代日本の建築界を指導し、数多くの建築家を育成したほか、教育界、建設界にも業績を残している。1898年帝国大学工科大学長となり1902年(明治35)退官。建築学会会長、議院建築調査会委員を歴任したほか、辰野葛西(かさい)建築事務所(東京)、辰野片岡建築事務所(大阪)を開設、日本銀行本店、東京駅、旧両国国技館をはじめとする日本近代建築史上重要な作品を手がけている。大正8年3月25日没。なお長男はフランス文学者、随筆家辰野隆(ゆたか)。

村松貞次郎・藤原恵洋]

『藤森照信著『日本の建築 明治大正昭和3 国家のデザイン』(1979・三省堂)』


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20世紀日本人名事典 「辰野金吾」の解説

辰野 金吾
タツノ キンゴ

明治・大正期の建築家 日本建築学会会長;東京帝国大学工科大学学長。



生年
嘉永7年8月22日(1854年)

没年
大正8(1919)年3月25日

出生地
肥前国唐津(佐賀県唐津市)

旧姓(旧名)
松倉

学歴〔年〕
工部大学校(東京帝大工学部)造家学科〔明治12年〕卒

学位〔年〕
工学博士

経歴
唐津藩士・姫松倉右衛門の次男に生まれ、明治元年辰野宗安の養嗣子となる。6年工部省工学寮(のち工部大学校)に入学し、お雇い外国人・コンドルの指導を受ける。12年工部大学校卒業後、13年ロンドンに留学、建築家W.バージスに師事。16年帰国し、工部省に奉職。17年工部大学校(のち帝国大学工科大学)教授となり、日本建築の講座を設け、31年東京帝大工科大学長。35年に退官、36年辰野葛西建築事務所を創立。38年大阪辰野片岡建築事務所を創立。議院建築意匠設計懸賞募集審査委員長、日本建築学会会長など歴任。明治期建築界の開拓者であり指導者であった。主な建築作品に日本銀行本店(明29年)、両国国技館(明42年)、東京駅(大3年)、国会議事堂(途中病気で倒れる)などがある。

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朝日日本歴史人物事典 「辰野金吾」の解説

辰野金吾

没年:大正8.3.25(1919)
生年:嘉永7.8.22(1854.10.13)
明治大正期の代表的建築家。建築教育にも大きな足跡を残した。唐津藩(佐賀県)藩士姫松倉右衛門の次男。唐津生まれ。明治1(1868)年,辰野宗安の養嗣子となる。同5年,出京。翌年,新たに設立された工部省工学寮に入学した。ここで,お雇い外国人教師コンドルの指導を受ける。12年,工部大学校(工学寮の名称変更)の第1回卒業生として卒業。造家学科の卒業生4名の中の首席であった。留学を申し付けられ,13年,ロンドンに出発,同地のバージェス建築事務所などで建築を研修,フランス,イタリアを回って16年に帰国。同年,工部省に奉職,処女作銀行集会所(1885)の設計を行う。17年,工部大学校教授に就任。19年,辰野建築事務所を設立した。この年,工部大学校は帝国大学工科大学に吸収,再編成され,同校の教授となった。以降,35年の退官まで多くの優れた建築家を育てた。明治21年,日本銀行の設計者に決定。この準備のため渡欧し翌年帰国。31年,建築学会会長,工科大学長に就任した。辰野建築事務所(のちの辰野葛西建築事務所,辰野片岡建築事務所)が設計した作品は228件にもおよぶといわれ,まさに明治・大正の建築界を席巻したといえよう。作品の一例に,日銀本店(1896),両国国技館(1909),東京中央停車場(東京駅,1914)がある。フランス文学者辰野隆は長男。<参考文献>白鳥省吾編『工学博士辰野金吾伝』,藤森照信「国家のデザイン」(『日本の建築[明治・大正・昭和]』3巻)

(清水慶一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「辰野金吾」の意味・わかりやすい解説

辰野金吾 (たつのきんご)
生没年:1854-1919(安政1-大正8)

建築家。肥前国唐津に生まれる。工部大学校造家学科でコンドルの教えをうけ,1879年同校を卒業。渡英し,主としてバージェスW. Burgesのもとで設計を修業する。帰国後,84年東京帝国大学工科大学教授となり,伊東忠太,関野貞ら後進を育てる一方で,86年新興建設資本と協力して造家学会(後の建築学会)を結成した。明治中期以降の創成期日本近代建築界を主導し,その性格を決定づけた。また,東京や大阪に建築事務所を開設,多くの作品を設計建築する。主要作品に日本銀行本店(1896),東京中央停車場(現,東京駅。1914)などがある。なおフランス文学者辰野隆(ゆたか)は子である。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「辰野金吾」の意味・わかりやすい解説

辰野金吾【たつのきんご】

日本近代建築の先覚者。肥前国唐津に生まれる。東大でコンドルに建築を学んだ後,英国に留学。後東大教授として,また設計者として明治・大正建築界に貢献。門弟に伊東忠太関野貞,大熊喜邦らがいる。建築設計では日本銀行本店,東京駅等が著名。子の辰野隆(ゆたか)〔1888-1964〕は仏文学者。
→関連項目国技館

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辰野金吾」の意味・わかりやすい解説

辰野金吾
たつのきんご

[生]嘉永7(1854).8.22. 唐津
[没]1919.3.25. 東京
建築家,工学博士。仏文学者辰野隆の父。ヨーロッパの工業技術輸入のため政府が招いた建築技師ジョサイア・コンドルに師事し,1879年に工部大学校造家学科第1期生として卒業。イギリスに留学し,コンドルの師,ウィリアム・バージェズの事務所で修業。 1883年帰国後はコンドルの後任として工部大学校教授を務め,東京帝国大学工科大学教授,同学長として建築教育に専念。 1886年造家学会 (現日本建築学会) 創立に参加。のちに会長も務めた。 1902年退職後は建築事務所を設立して多くの建築設計に従事,洋風建築の発展に貢献した。主要設計は工科大学本館 (1888) ,日本銀行本店 (1890~96) ,両国国技館 (1909) ,東京中央停車場 (東京駅,1911~14) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「辰野金吾」の解説

辰野金吾
たつのきんご

1854.8.22~1919.3.25

明治建築界の帝王的存在。肥前国唐津生れ。1879年(明治12)第1期生として工部大学校を卒業。イギリス留学後,工部大学校教授・帝国大学工科大学教授・同工科大学長を歴任。1903年退官し,葛西万司と東京に,片岡安と大阪に建築設計事務所を開設し,全国各地に数多くの建築作品を遺す。代表作は日本銀行本店(1896年竣工),東京駅本屋(1914年竣工)(ともに重文)など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「辰野金吾」の解説

辰野金吾 たつの-きんご

1854-1919 明治-大正時代の建築家。
嘉永(かえい)7年8月22日生まれ。辰野隆(ゆたか)の父。イギリスに留学し,帰国後帝国大学工科大学教授,のち工科大学長をつとめる。退官後は設計者として建築界に貢献した。代表作に日本銀行本店,東京駅など。大正8年3月25日死去。66歳。肥前唐津(佐賀県)出身。工部大学校(現東大)卒。旧姓は松倉。

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旺文社日本史事典 三訂版 「辰野金吾」の解説

辰野金吾
たつのきんご

1854〜1919
明治時代の建築家
肥前(佐賀藩)唐津の生まれ。1879年工部大学校卒業後イギリスに留学し,帰国後 '84年工部大学校(現東大工学部)教授となる。洋風建築技術を学んだ最初の日本人で,代表作品に日本銀行本店・東京駅などがある。

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367日誕生日大事典 「辰野金吾」の解説

辰野 金吾 (たつの きんご)

生年月日:1854年8月22日
明治時代;大正時代の建築家。東京帝国大学工科大学長;建築学会会長
1919年没

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世界大百科事典(旧版)内の辰野金吾の言及

【東京駅】より

…87年の国鉄の分割・民営化により,JR東日本とJR東海の両社が区分して所有するようになった。【村山 繁樹】
[建築]
 現在の丸の内側の東京駅は,辰野金吾と葛西万司により設計された。当初は鉄骨煉瓦造3階建て,長さ320mで南北両端に丸ドームのある左右対称の建築で,様式はカイペルス設計のアムステルダム中央駅がモデルといわれる。…

※「辰野金吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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