佐藤志津(読み)サトウ シヅ

20世紀日本人名事典 「佐藤志津」の解説

佐藤 志津
サトウ シヅ

明治・大正期の教育家 女子美術学校校主



生年
嘉永4年6月10日(1851年)

没年
大正8(1919)年3月17日

出生地
常陸国行方郡麻生(茨城県)

経歴
父・佐藤尚中は第2代順天堂主、夫・進は男爵で第3代順天堂主。名家の娘として漢学国学、女子教養百般をはじめ、長刀など武芸、禅、謡曲などを修める。明治35年前年に開校した女子美術学校(現・女子美術大学)校主に就任。経営難や校舎焼失が相次ぐが、全私財を投じて経営に取り組んだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤志津」の解説

佐藤志津 さとう-しづ

1851-1919 明治-大正時代の教育者。
嘉永(かえい)4年5月11日生まれ。佐藤尚中(しょうちゅう)の長女。女子美術学校(現女子美大)の経営再建のための資金を提供し,明治35年校主,37年校長となった。夫は順天堂医院3代院長佐藤進。大正8年3月17日死去。69歳。下総(しもうさ)佐倉(千葉県)出身。名は静子,志津子とも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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