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佐藤志津 さとう しづ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐藤志津 さとう-しづ

1851-1919 明治-大正時代の教育者。
嘉永(かえい)4年5月11日生まれ。佐藤尚中(しょうちゅう)の長女。女子美術学校(現女子美大)の経営再建のための資金を提供し,明治35年校主,37年校長となった。夫は順天堂医院3代院長佐藤進。大正8年3月17日死去。69歳。下総(しもうさ)佐倉(千葉県)出身。名は静子,志津子とも。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

佐藤志津

没年:大正8.3.17(1919)
生年:嘉永4.5.11(1851.6.10)
明治大正期の教育家。常陸国(茨城県)行方郡麻生生まれ。父佐藤尚中は第2代順天堂主,母はサダ。夫進は男爵で第3代順天堂主。名家の娘として漢学,国学や女子教養百般をはじめ,長刀など武芸,禅,謡曲まで修め,その気品ある美貌と才気は社交界の華であったという。明治35(1902)年,52歳で校主として女子美術学校(女子美大)の経営を引き継ぐ。前年開校したばかりの同校は早くも経営難で,加えて校舎の焼失など苦難が相次ぐが全私財を投じて経営に取り組み,「志津校長は自分の着物を脱いで学校に着せた」といわれた。<参考文献>『女子美術大学八十年史』,林えり子『続・結婚百物語』,谷紀三郎『佐藤男爵』

(村上雍子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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