20世紀日本人名事典 「佐藤愛麿」の解説
佐藤 愛麿
サトウ ヨシマロ
- 生年
- 安政4年3月28日(1857年)
- 没年
- 昭和9(1934)年1月12日
- 出身地
- 陸奥国弘前(青森県)
- 旧姓(旧名)
- 山中
- 学歴〔年〕
- デポー大学(米国)〔明治14年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士〔大正6年〕
- 経歴
- 陸奥弘前藩士・山中逸郎の二男に生まれ、同藩勘定奉行・佐藤清衛の養子となって家督を継ぐ。米国に留学し、明治14年デボー大学を卒業、バチェラー・オブ・アーツの称号を受ける。19年公使館書記官となり、外務書記官、公使館一等書記官を経て、33年駐メキシコ公使となり、38年日露講和会議に随員として活躍。39年駐オランダ公使となり、41年万国平和会議に参列する。大正3年駐オーストリア・ハンガリー大使となるが、第一次世界大戦が勃発、国交断絶と共に帰国し外務省臨時勤務となった。のち駐米国大使となり、7年待命となって帰国。その後、宮内省御用掛(伏見宮家別当)を務める。6年米国デボー大学並びにプリンストン大学より法学博士の名誉学位を受けた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報