佐藤欣治(読み)サトウ キンジ

20世紀日本人名事典 「佐藤欣治」の解説

佐藤 欣治
サトウ キンジ

昭和期の実業家 佐藤工業会長。



生年
明治42(1909)年4月9日

没年
平成3(1991)年8月21日

出身地
富山県砺波市

別名
雅号=佐藤 浩雅

学歴〔年〕
早稲田大学商学部〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和31年〕,紺綬褒章〔昭和37年〕,産業安全功労賞〔昭和37年〕,勲二等瑞宝章〔昭和54年〕,ダトー・スティア・ディラジャ・ケダ(マレーシア)〔昭和62年〕

経歴
昭和20年家業の建設会社・佐藤工業専務となり、21年社長に就任。36年上場。63年会長となる。


佐藤 欣治
サトウ キンジ

大正期の労働運動家



生年
明治35(1902)年3月18日

没年
大正12(1923)年9月4日

出生地
岩手県江刺郡田原村(現・江刺市)

学歴〔年〕
江刺郡立蚕糸学校卒

経歴
大正9年上京し、エボナイト加工工場で働きながら独学する。11年南葛飾労働協会に加入し、化学工場を転々とする。12年の関東大震災亀戸警察署に拘引され、虐殺された(亀戸事件)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤欣治」の解説

佐藤欣治(2) さとう-きんじ

1909-1991 昭和時代後期の経営者
明治42年4月9日生まれ。昭和9年日本電力に入社。20年家業の佐藤工業の専務となり,21年社長。文久2年創業の同社を近代的な大手建設企業に転換させ,トンネルなどの大型土木を中心に開発事業や民間建築でも実績をあげた。63年会長。平成3年8月21日死去。82歳。富山県出身。早大卒。

佐藤欣治(1) さとう-きんじ

1902-1923 大正時代の労働運動家。
明治35年3月18日生まれ。蚕糸学校を卒業。大正9年上京し,東京南葛飾(かつしか)の化学工場ではたらき,11年南葛労働協会に加入。関東大震災で被災者の救護活動中,亀戸(かめいど)警察署に捕らえられ,大正12年9月4日習志野騎兵連隊の兵士により虐殺された。22歳。岩手県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐藤欣治」の解説

佐藤 欣治 (さとう きんじ)

生年月日:1909年4月9日
昭和時代の実業家。佐藤工業社長
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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