佐藤賢順(読み)サトウ ケンジュン

20世紀日本人名事典 「佐藤賢順」の解説

佐藤 賢順
サトウ ケンジュン

昭和期の宗教哲学者,僧侶(浄土宗)



生年
明治32(1899)年8月2日

没年
昭和37(1962)年3月28日

出生地
東京市芝

学歴〔年〕
宗教大学宗教科〔大正9年〕修了,早稲田大学文学部哲学科西洋哲学専攻科〔大正14年〕卒,早稲田大学大学院〔昭和2年〕修了

学位〔年〕
文学博士〔昭和35年〕

経歴
昭和5年大正大学講師、15年教授、21年仏教科長、23年西洋哲学研究室主任、26年文学部長、31年から高崎経済大学教授兼任。一方14年願行寺住職となり、法然上人鑚仰会創設を主導、26年自坊に勝友会を結成浄土宗教学院理事、大本山増上寺教監を務めた。35年第10回国際宗教史会議に出席、研究発表を行った。著書に「浄土に生きる」「宗教の論理表現」「宗教哲学」、翻訳「ボサンケット論理学の本質」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤賢順」の解説

佐藤賢順 さとう-けんじゅん

1899-1962 昭和時代の宗教哲学者。
明治32年8月2日生まれ。大正14年東京の浄土宗願行寺の住職。昭和10年真野正順(まの-しょうじゅん)らと法然(ほうねん)上人鑽仰会を組織し雑誌「浄土」を刊行。15年大正大教授。昭和37年3月28日死去。62歳。東京出身。早大卒。号は広蓮社博誉即阿。著作に「宗教の論理と表現」「浄土に生きる」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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