20世紀日本人名事典 「佐藤鉄太郎」の解説
佐藤 鉄太郎
サトウ テツタロウ
- 生年
- 慶応2年7月13日(1866年)
- 没年
- 昭和17(1942)年3月4日
- 出生地
- 出羽国田川郡鶴岡高町(現・山形県鶴岡市)
- 旧姓(旧名)
- 下向
- 学歴〔年〕
- 海兵(第14期)〔明治20年7月〕卒,海大卒
- 経歴
- 鶴岡藩士の子として生まれ、佐藤家の養子となる。明治22年海軍少尉に任官し、25年大尉、赤城航海長、日清戦争の黄海海戦で負傷。その後、少佐時代に英米に駐在して戦史研究を進め、35年に「帝国国防論」を執筆。その海主陸従的な所論が陸軍側の反発を買うが、国防論の権威として知られる。日露戦争では第2艦隊参謀を務め、のち海大教官、第1艦隊参謀長、軍令部次長、海大校長などを歴任。大正5年中将に昇進し、12年予備役。昭和9〜17年勅選貴院議員。学習院教授も務めた。他の著書に「帝国国防史論」「国防新論」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報