ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
(1)日清(にっしん)戦争中の1894年(明治27)9月17日、黄海(こうかい)の北端、長山列島近海で、日本連合艦隊と清国北洋艦隊が戦った海戦。清国側は軍艦「超勇」以下5隻を失い、日本はこの海戦を機に制海権を掌握した。ほぼ同時に行われた平壌の戦いとともに、日清戦争の勝敗を分けた戦いであった。
(2)日露戦争中の1904年(明治37)8月10日、ウラジオストクの艦隊と合流しようとして旅順港から脱出したロシア艦隊と、それを阻止しようとした日本艦隊との間で戦われた海戦。日本艦隊は遠くまでロシア艦隊を誘出、交戦数時間に及んだが、旗艦(きかん)が撃破されたのを機に、ロシア艦隊主力はふたたび旅順港に逃れた。以後出撃することなく、制海権を日本が完全に握ることになった。
[中塚 明]
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…9月15日大本営は天皇親率のもと広島に進出し,国民に長期戦の決意を示した。翌16日の平壌攻略により全朝鮮を制圧し,17日の世界最初の汽走艦隊の海戦である黄海海戦に勝利して黄海の制海権を握ると,大本営は中国本土に侵入を指示し,戦争は中国分割戦争に転じた。天皇は開戦から復員まで87回にわたり大本営御前会議を催し,終始積極的に戦争を指導した。…
※「黄海海戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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