黄海海戦(読み)こうかいかいせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄海海戦」の意味・わかりやすい解説

黄海海戦
こうかいかいせん

日清戦争中最大の海戦伊東祐亨 (すけゆき) 司令長官日本連合艦隊 12隻 (うち甲鉄艦1隻) に対し,清国の北洋艦隊は 14隻 (甲鉄艦6隻) でのぞみ,20cm以上の大口径砲では,北洋艦隊 21門に対し,連合艦隊は 11門と劣っていたが,逆に中口径で 209門,速力 16knをもって,清国側の 141門,14knにまさっていた。 1894年9月 17日 11時 30分,『吉野』が清国艦隊発見の信号を掲げ,正午,日本艦隊は単縦陣をとって北上,南下する清国艦隊の前を横切って進んだ。0時 50分,距離 5800mで清国側が砲撃を開始し,0時 55分,距離 3000mで日本艦隊が発砲を開始した。4時間半にわたる海戦で,北洋艦隊は『経遠』 (排水量 2900t) ,『致遠』 (2300t) ,『超勇』 (1350t) が沈み,『揚威』 (1350t) ,『広甲』 (1300t) は遁走中に座礁した。連合艦隊は旗艦松島』をはじめ相当な被害を受けたが,沈没した艦はなかった。この海戦で,日本は黄海制海権を手に入れ,戦勝の基礎を得た。日露戦争でも 1904年8月 10日,旅順港外から山東沖にかけて日露両艦隊の間に決戦が行われ,日本連合艦隊の勝利に帰した。これもまた黄海海戦という。

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改訂新版 世界大百科事典 「黄海海戦」の意味・わかりやすい解説

黄海海戦 (こうかいかいせん)

(1)1894年9月17日,日清戦争のときに黄海北部で起こった海戦。速力と速射砲数で勝る日本艦隊(14隻,約4万トン)は清国北洋艦隊(18隻,約3万5000トン)を破り5隻を失わせ,日本は1隻も失わなかった。これで日本は黄海の制海権をえて戦勝の基を開いた。世界最初の甲鉄汽走艦隊の決戦で,後の近代的海軍用兵への端緒をなした。(2)1904年8月10日,日露戦争中に旅順のロシア東洋艦隊がウラジオストクに脱出しようとするのを日本の連合艦隊が迎え撃って撃破し,ロシア艦隊は再び旅順港へ逃げ込んだ。一般に黄海海戦という場合,(1)が有名であり,これと区別するため(2)を八月十日の海戦ともいう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄海海戦」の意味・わかりやすい解説

黄海海戦
こうかいかいせん

(1)日清(にっしん)戦争中の1894年(明治27)9月17日、黄海(こうかい)の北端、長山列島近海で、日本連合艦隊と清国北洋艦隊が戦った海戦。清国側は軍艦「超勇」以下5隻を失い、日本はこの海戦を機に制海権を掌握した。ほぼ同時に行われた平壌戦いとともに、日清戦争の勝敗を分けた戦いであった。

(2)日露戦争中の1904年(明治37)8月10日、ウラジオストクの艦隊と合流しようとして旅順港から脱出したロシア艦隊と、それを阻止しようとした日本艦隊との間で戦われた海戦。日本艦隊は遠くまでロシア艦隊を誘出、交戦数時間に及んだが、旗艦(きかん)が撃破されたのを機に、ロシア艦隊主力はふたたび旅順港に逃れた。以後出撃することなく、制海権を日本が完全に握ることになった。

[中塚 明]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「黄海海戦」の解説

黄海海戦
こうかいかいせん

1日清戦争における最大の海戦。1894年(明治27)9月17日,伊東祐亨(すけゆき)中将の日本連合艦隊12隻と丁汝昌(ていじょしょう)提督の清国北洋艦隊12隻とが交戦した。北洋艦隊は5隻を撃沈され,巨艦定遠・鎮遠も大破。日本は大破2隻のほかは被害軽微。黄海の制海権を日本が掌握し,平壌攻略とともに日清戦争の帰趨を決定づけた。

2日露戦争における海戦。1904年(明治37)8月10日,旅順を脱出してウラジオストクの艦隊と合同しようとするロシア太平洋艦隊に対し,東郷平八郎大将の日本連合艦隊主力がこれを阻止しようとした。ロシア艦隊は数隻を撃破され,旅順に退去して以後再び出撃しなかった。

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百科事典マイペディア 「黄海海戦」の意味・わかりやすい解説

黄海海戦【こうかいかいせん】

日清戦争中の1894年9月,日本連合艦隊(14隻,約4万トン)と清国北洋艦隊(18隻,約3万5000トン)との海戦。日本の無傷に比し清国は主力艦5隻を失い,制海権は日本に帰した。なお日露戦争中の1904年,旅順からウラジオストクに脱出しようとしたロシア艦隊を連合艦隊が撃破した海戦も黄海海戦というが,一般には前者をさす。

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旺文社日本史事典 三訂版 「黄海海戦」の解説

黄海海戦
こうかいかいせん

①日清戦争の一海戦
②日露戦争の一海戦
1894年9月17日,黄海で行われた日本連合艦隊と清国北洋艦隊との戦い。合戦4時間余で日本連合艦隊は清国北洋艦隊に大損害を与え,黄海の制海権を握り,朝鮮への陸軍の輸送を安全にした。
1904年8月10日,黄海で行われた日本連合艦隊とロシア太平洋艦隊との戦い。日本はロシア艦隊に打撃を与え,旅順脱出をはばみ制海権を握った。

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世界大百科事典(旧版)内の黄海海戦の言及

【日清戦争】より

…9月15日大本営は天皇親率のもと広島に進出し,国民に長期戦の決意を示した。翌16日の平壌攻略により全朝鮮を制圧し,17日の世界最初の汽走艦隊の海戦である黄海海戦に勝利して黄海の制海権を握ると,大本営は中国本土に侵入を指示し,戦争は中国分割戦争に転じた。天皇は開戦から復員まで87回にわたり大本営御前会議を催し,終始積極的に戦争を指導した。…

※「黄海海戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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