佐間村(読み)さまむら

日本歴史地名大系 「佐間村」の解説

佐間村
さまむら

[現在地名]行田市佐間一―三丁目・佐間・旭町あさひちようおし二丁目・行田・城南じようなん水城公園すいじようこうえん天満てんま緑町みどりちよう向町むかいまち

忍城の南に位置し、行田町の南に続く。関東ローム層微高地北端にのる村。地域内に大日塚だいにちづか古墳を含む佐間古墳群ほか集落遺跡があり、同古墳上には嘉禎二年(一二三六)の大日種子板石塔婆(高さ一メートル九三センチ、県指定文化財)が建つ。東は忍川を隔てて長野ながの村、西も用水に沿い、南半は下忍、北半は持田もちだの両村に接している。「風土記稿」によれば小名沼尻組ぬまじりぐみ新組しんぐみ城下町に属すとされ、阿部家の城地経営の過程で新設された足軽町であった。中山道鴻巣宿北方三ッ木みつぎ(現鴻巣市)から折れて行田に入る往還が村内を南北に通り、一里塚(県指定史跡)が残る。


佐間村
さまむら

[現在地名]栗橋町佐間

間鎌まがま新田南西にあり、村の北を古利根川が流れ、川沿いに堤防がある。鎌倉街道であったと伝える古道、また日光御廻おまわり道が通る。地内の小草原こくさばらでは中世墓地が発掘され、蔵骨器として使用された一四世紀中頃と推定される瀬戸瓶子や常滑大甕、また板石塔婆三七基が出土している。中世において水陸交通の発達した地であったと考えられる。また小字に陣屋じんや陣屋屋敷添じんややしきぞえなどがあり、佐竹氏の陣屋があった所という(郡村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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