改訂新版 世界大百科事典 「俳優教育」の意味・わかりやすい解説
俳優教育 (はいゆうきょういく)
俳優として必要な実技や基礎知識を教授すること。近代以前の俳優教育は,稽古や公演などの実際活動を手伝いながら経験的に学習する上演集団内の徒弟制度的な見習い方式が,洋の東西を問わず一般的であった。俳優として必要な実技訓練や理論的知識や教養を組織的に教授する公的教育機関が西欧諸国に設立されるのはかなりおそく,近世ドイツの名優K.エクホーフが〈ドイツ演劇アカデミー〉をシュベリンに設立(1753)したのが初めといわれる。1786年にはパリに〈コンセルバトアール〉(国立音楽演劇学校)が設立され,続いて国立・王立の教育機関が西欧各国に出現した。20世紀に入ると,有力劇場付属の養成機関がすぐれた演劇人によって次々と誕生し,またアメリカを先駆として大学でも俳優教育が行われるようになった。第2次大戦後の今日まで,ほぼ同様な形で俳優の教育は行われている。
一家一門での養成意識が強い日本でも,明治以降の近代化にともない,1908年(明治41)に新派女優の川上貞奴(さだやつこ)と男優の藤沢浅二郎により,それぞれ〈帝国女優養成所〉と〈東京俳優養成所〉(のち〈東京俳優学校〉と改称)とが設立された。そして男女合同の近代的俳優養成機関としては,坪内逍遥邸に翌09年文芸協会付属演劇研究所が創設され,松井須磨子や沢田正二郎などが育った。第2次大戦後は48年に秋田雨雀の舞台芸術学院が発足し,49年に俳優座に設立された付属演劇研究所では,3年制の俳優教育が行われるようになった。また日本大学や桐朋学園大学でも俳優教育の講座が発足し,国立劇場設立により70年から歌舞伎や能楽などの俳優養成も行われるようになっている。しかし日本では古典芸能はもとより現代演劇においても一家一門または劇場・劇団内での養成意識が強く,社会性のある公的な俳優教育機関は不十分な状態である。
執筆者:石沢 秀二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報