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明治〜昭和期の劇作家,小説家,児童文学作家,社会運動家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
劇作家、童話作家。明治16年1月30日青森県黒石町に生まれる。本名徳三。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。浪漫的傾向の戯曲『第一の暁』(1911・自由劇場初演)、『埋(うずも)れた春』(1912)で劇作家として認められた。1913年(大正2)島村抱月(ほうげつ)主宰の芸術座に幹事として参加、のち脚本部員となる。父の入獄、次女の病死などで一時神秘思想にとらわれたが、やがて現実を凝視する姿勢をとり、戯曲『土地』三部曲(1917~1918)で自然主義的傾向を深め、さらに人道主義から社会主義思想に移って戯曲『国境の夜』(1920)、『手投弾(てなげだま)』(1923)、『骸骨(がいこつ)の舞跳(ぶちょう)』(1924)などの佳作を発表。『太陽と花園』(1920)などの童話も書いた。1923年先駆座を興してプロレタリア演劇運動を進め、1927年(昭和2)訪ソ後はプロレタリア科学研究所長となった。1934年新協劇団結成に尽力し、第二次世界大戦後、舞台芸術学院長、日本児童文学者協会長を務め、劇壇、文壇の長老として尊敬を集めた。昭和37年5月12日没。
[藤木宏幸]
『『雨雀自伝』(1953・新評論社)』▽『『秋田雨雀戯曲集』(1975・弘前雨雀会)』▽『藤田龍雄著『秋田雨雀研究』(1972・津軽書房)』
劇作家,小説家,童話作家。本名徳三。青森県生れ。1907年早稲田大学英文科卒業。小説家として出発し,小山内薫の《新思潮》記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の暁》などで劇作家として認められた。13年島村抱月の芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織したが経営に失敗。失意の時期エスペラント,インド哲学に打ち込み,童話創作を試みつつ社会主義に傾く。20年には戯曲《国境の夜》を発表し,21年日本社会主義同盟に加入,翌年先駆座を結成。27年ソ連の革命10周年記念祭に招かれ,帰国後社会主義文化運動に尽力した。34年新協劇団結成に加わり,第2次大戦後は舞台芸術学院長,日本児童文学者協会長など劇・文壇の長老であった。
執筆者:永平 和雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…その主流はロマンティックな未明童話を頂点とする物語性のゆたかなメルヘンで,子どもの現実生活をリアルに描いた作品は少なかった。代表的な作家には,秋田雨雀,芥川竜之介,有島武郎,宇野浩二,佐藤春夫,豊島与志雄たちがいる。 大正期には児童中心主義の児童観に応ずる童心文学の主張が支配的で,それが典型的に現れたのは北原白秋,西条八十,野口雨情に代表される童謡においてであるが,この近代的詩形が日本の伝承童謡の復興を詩の精神としたことは注目すべきである。…
…演劇雑誌。1934年(昭和9)5月,秋田雨雀を責任編集者として創刊。軍国主義の強まる気配の中で,危機にあった演劇芸術の擁護を訴え,暗い谷間の時代に良心的な演劇の灯を掲げたが,40年8月を最後に政府の干渉で休刊した。…
…そのなかで1934年11月結成された全評(日本労働組合全国評議会)が組織目標に〈ファッショ,社会ファッショ反対〉を掲げ,37年まで反ファシズム運動を進めたことが注目されよう。 知識人の動きは,1933年4月の滝川事件に際して結成された大学自由擁護連盟,ナチスの焚書に対する抗議を契機に同年7月結成された反ナチス団体ともいえる学芸自由同盟(長谷川如是閑,徳田秋声,秋田雨雀,三木清ら)に示された。共に長くは続かなかったが,コミュニストや社会主義者よりもリベラル派が中心に結集した広範なグループで,明確な反ファシズム運動を形成した。…
※「秋田雨雀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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