秋田雨雀(読み)あきた うじゃく

  • 1883―1962
  • あきたうじゃく
  • 秋田雨雀 あきた-うじゃく

百科事典マイペディアの解説

劇作家。童話作家。青森県生れ。早稲田大学卒業。在学中に新体詩集《黎明》を坪内逍遥序文を得て自費出版。卒業後,《早稲田文学》《文章世界》などに小説,戯曲を発表。1910年,雑誌《劇と詩》を創刊,1911年,小説戯曲集《幻影と夜曲》,1913年,戯曲集《埋もれた春》を刊行する。順次,活動の重心は劇方面に移行し,1913年に島村抱月芸術座の幹事,1914年,脱退して沢田正二郎らとの美術劇場で舞台監督,1918年,芸術座に復帰,脚本研究会を始める。1921年,《種蒔く人》の寄稿者となり,先駆座結成参画,以後,プロレタリア演劇運動の中心的存在となる。児童文学との関わりも深く,1921年に童話集《東の子供へ》《太陽花園》をまとめている。戦後は舞台芸術学院長,児童文学者協会会長として後進の育成に尽力した。《雨雀自伝》,《雨雀日記》全5巻。
→関連項目赤い鳥芸術座新日本文学日本フェビアン協会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1883-1962 明治-昭和時代の劇作家,児童文学作家。
明治16年1月30日生まれ。43年戯曲「第一の暁」を発表。島村抱月(ほうげつ)の芸術座に参加。のち社会主義運動にすすみ,「太陽と花園」などの童話もかく。昭和9年新協劇団結成に参画。戦後は舞台芸術学院長。昭和37年5月12日死去。79歳。青森県出身。早大卒。本名は徳三。戯曲集に「埋(うずも)れた春」など。
格言など】太陽はもと女性(をみな)なりしと人のいふに日の本の女性のなどかく暗き

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世界大百科事典 第2版の解説

1883‐1962(明治16‐昭和37)
劇作家,小説家,童話作家。本名徳三。青森県生れ。1907年早稲田大学英文科卒業。小説家として出発し,小山内薫の《新思潮記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の》などで劇作家として認められた。13年島村抱月の芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織したが経営に失敗。失意の時期エスペラント,インド哲学に打ち込み,童話創作を試みつつ社会主義に傾く。20年には戯曲《国境の夜》を発表し,21年日本社会主義同盟に加入,翌年先駆座を結成。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1883.1.31. 青森,黒石
[没]1962.5.12. 東京
劇作家,小説家,児童文学者。本名,徳三。 1907年早稲田大学英文科卒業。初め小説を書いたが,09年から劇作家に転じて,沢田正二郎らの美術劇場で上演した『埋 (うずも) れた春』 (1913) で脚光を浴びた。また『東の子供へ』 (21) ,『太陽と花園』 (21) など数多くの童話を発表。のちプロレタリア文化運動に転じ,長老としての尊敬を集め,舞台芸術学院院長,日本児童文学者協会会長などをつとめた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

劇作家、童話作家。明治16年1月30日青森県黒石町に生まれる。本名徳三。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。浪漫的傾向の戯曲『第一の暁』(1911・自由劇場初演)、『埋(うずも)れた春』(1912)で劇作家として認められた。1913年(大正2)島村抱月(ほうげつ)主宰の芸術座に幹事として参加、のち脚本部員となる。父の入獄、次女の病死などで一時神秘思想にとらわれたが、やがて現実を凝視する姿勢をとり、戯曲『土地』三部曲(1917~1918)で自然主義的傾向を深め、さらに人道主義から社会主義思想に移って戯曲『国境の夜』(1920)、『手投弾(てなげだま)』(1923)、『骸骨(がいこつ)の舞跳(ぶちょう)』(1924)などの佳作を発表。『太陽と花園』(1920)などの童話も書いた。1923年先駆座を興してプロレタリア演劇運動を進め、1927年(昭和2)訪ソ後はプロレタリア科学研究所長となった。1934年新協劇団結成に尽力し、第二次世界大戦後、舞台芸術学院長、日本児童文学者協会長を務め、劇壇、文壇の長老として尊敬を集めた。昭和37年5月12日没。

[藤木宏幸]

『『雨雀自伝』(1953・新評論社)』『『秋田雨雀戯曲集』(1975・弘前雨雀会)』『藤田龍雄著『秋田雨雀研究』(1972・津軽書房)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

劇作家、童話作家。島村抱月に師事して演劇革新運動に参加。のち、社会主義思想に傾いてプロレタリア演劇運動を行なった。戯曲「埋れた春」「国境の夜」など。明治一六~昭和三七年(一八八三‐一九六二

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世界大百科事典内の秋田雨雀の言及

【児童文学】より

…その主流はロマンティックな未明童話を頂点とする物語性のゆたかなメルヘンで,子どもの現実生活をリアルに描いた作品は少なかった。代表的な作家には,秋田雨雀,芥川竜之介,有島武郎,宇野浩二,佐藤春夫,豊島与志雄たちがいる。 大正期には児童中心主義の児童観に応ずる童心文学の主張が支配的で,それが典型的に現れたのは北原白秋,西条八十,野口雨情に代表される童謡においてであるが,この近代的詩形が日本の伝承童謡の復興を詩の精神としたことは注目すべきである。…

【テアトロ】より

…演劇雑誌。1934年(昭和9)5月,秋田雨雀を責任編集者として創刊。軍国主義の強まる気配の中で,危機にあった演劇芸術の擁護を訴え,暗い谷間の時代に良心的な演劇の灯を掲げたが,40年8月を最後に政府の干渉で休刊した。…

【反ファシズム】より

…そのなかで1934年11月結成された全評(日本労働組合全国評議会)が組織目標に〈ファッショ,社会ファッショ反対〉を掲げ,37年まで反ファシズム運動を進めたことが注目されよう。 知識人の動きは,1933年4月の滝川事件に際して結成された大学自由擁護連盟,ナチスの焚書に対する抗議を契機に同年7月結成された反ナチス団体ともいえる学芸自由同盟(長谷川如是閑,徳田秋声,秋田雨雀,三木清ら)に示された。共に長くは続かなかったが,コミュニストや社会主義者よりもリベラル派が中心に結集した広範なグループで,明確な反ファシズム運動を形成した。…

※「秋田雨雀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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