コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

秋田雨雀 あきた うじゃく

8件 の用語解説(秋田雨雀の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

秋田雨雀

評論家・劇作家。青森県生。名は徳三。プロレタリア文学運動に終始する。昭和37年(1962)歿、79才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

あきた‐うじゃく【秋田雨雀】

[1883~1962]劇作家・児童文学者。青森の生まれ。本名、徳三。島村抱月の門下。のちプロレタリア芸術運動に参加。戯曲「埋れた春」「国境の夜」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

秋田雨雀【あきたうじゃく】

劇作家。童話作家。青森県生れ。早稲田大学卒業。在学中に新体詩集《黎明》坪内逍遥の序文を得て自費出版。卒業後,《早稲田文学》《文章世界》などに小説,戯曲を発表。
→関連項目赤い鳥芸術座新日本文学日本フェビアン協会

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

秋田雨雀 あきた-うじゃく

1883-1962 明治-昭和時代の劇作家,児童文学作家。
明治16年1月30日生まれ。43年戯曲「第一の暁」を発表。島村抱月(ほうげつ)の芸術座に参加。のち社会主義運動にすすみ,「太陽と花園」などの童話もかく。昭和9年新協劇団結成に参画。戦後は舞台芸術学院長。昭和37年5月12日死去。79歳。青森県出身。早大卒。本名は徳三。戯曲集に「埋(うずも)れた春」など。
【格言など】太陽はもと女性(をみな)なりしと人のいふに日の本の女性のなどかく暗き

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

あきたうじゃく【秋田雨雀】

1883‐1962(明治16‐昭和37)
劇作家,小説家,童話作家。本名徳三。青森県生れ。1907年早稲田大学英文科卒業。小説家として出発し,小山内薫の《新思潮》記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の暁》などで劇作家として認められた。13年島村抱月芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織したが経営に失敗。失意の時期エスペラントインド哲学打ち込み,童話創作を試みつつ社会主義に傾く。20年には戯曲《国境の夜》を発表し,21年日本社会主義同盟に加入,翌年先駆座を結成。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あきたうじゃく【秋田雨雀】

1883~1962) 劇作家・童話作家。青森県生まれ。本名、徳三。早大卒。演劇を中心に、社会主義的文化運動に幅広く活躍。戯曲「埋れた春」「国境の夜」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

秋田雨雀
あきたうじゃく

[生]1883.1.31. 青森,黒石
[没]1962.5.12. 東京
劇作家,小説家,児童文学者。本名,徳三。 1907年早稲田大学英文科卒業。初め小説を書いたが,09年から劇作家に転じて,沢田正二郎らの美術劇場で上演した『埋 (うずも) れた春』 (1913) で脚光を浴びた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

秋田雨雀
あきたうじゃく
(1883―1962)

劇作家、童話作家。明治16年1月30日青森県黒石町に生まれる。本名徳三。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。浪漫的傾向の戯曲『第一の暁』(1911・自由劇場初演)、『埋(うずも)れた春』(1912)で劇作家として認められた。1913年(大正2)島村抱月(ほうげつ)主宰の芸術座に幹事として参加、のち脚本部員となる。父の入獄、次女の病死などで一時神秘思想にとらわれたが、やがて現実を凝視する姿勢をとり、戯曲『土地』三部曲(1917~1918)で自然主義的傾向を深め、さらに人道主義から社会主義思想に移って戯曲『国境の夜』(1920)、『手投弾(てなげだま)』(1923)、『骸骨(がいこつ)の舞跳(ぶちょう)』(1924)などの佳作を発表。『太陽と花園』(1920)などの童話も書いた。1923年先駆座を興してプロレタリア演劇運動を進め、1927年(昭和2)訪ソ後はプロレタリア科学研究所長となった。1934年新協劇団結成に尽力し、第二次世界大戦後、舞台芸術学院長、日本児童文学者協会長を務め、劇壇、文壇の長老として尊敬を集めた。昭和37年5月12日没。[藤木宏幸]
『『雨雀自伝』(1953・新評論社) ▽『秋田雨雀戯曲集』(1975・弘前雨雀会) ▽藤田龍雄著『秋田雨雀研究』(1972・津軽書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の秋田雨雀の言及

【児童文学】より

…その主流はロマンティックな未明童話を頂点とする物語性のゆたかなメルヘンで,子どもの現実生活をリアルに描いた作品は少なかった。代表的な作家には,秋田雨雀,芥川竜之介,有島武郎,宇野浩二,佐藤春夫,豊島与志雄たちがいる。 大正期には児童中心主義の児童観に応ずる童心文学の主張が支配的で,それが典型的に現れたのは北原白秋,西条八十,野口雨情に代表される童謡においてであるが,この近代的詩形が日本の伝承童謡の復興を詩の精神としたことは注目すべきである。…

【テアトロ】より

…演劇雑誌。1934年(昭和9)5月,秋田雨雀を責任編集者として創刊。軍国主義の強まる気配の中で,危機にあった演劇芸術の擁護を訴え,暗い谷間の時代に良心的な演劇の灯を掲げたが,40年8月を最後に政府の干渉で休刊した。…

【反ファシズム】より

…そのなかで1934年11月結成された全評(日本労働組合全国評議会)が組織目標に〈ファッショ,社会ファッショ反対〉を掲げ,37年まで反ファシズム運動を進めたことが注目されよう。 知識人の動きは,1933年4月の滝川事件に際して結成された大学自由擁護連盟,ナチスの焚書に対する抗議を契機に同年7月結成された反ナチス団体ともいえる学芸自由同盟(長谷川如是閑,徳田秋声,秋田雨雀,三木清ら)に示された。共に長くは続かなかったが,コミュニストや社会主義者よりもリベラル派が中心に結集した広範なグループで,明確な反ファシズム運動を形成した。…

※「秋田雨雀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

秋田雨雀の関連キーワード小川未明川西和露小林蹴月ハウフ劇作家作家JBプリーストリーAAミルンゴーゴリ伝松原至大

今日のキーワード

大統領補佐官

各種政策の立案その他に関し,側近として大統領に助言する役職だが,実質上はブレーン,顧問として多面的な役割を担う。憲法で定められた唯一の行政責任者である合衆国大統領は,強大な権力を持つにもかかわらず,議...

続きを読む

コトバンク for iPhone

秋田雨雀の関連情報