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現代演劇 げんだいえんげき

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

現代演劇
げんだいえんげき

現代演劇の概念をどこまで広げるかについては一定しない。現代をコンテンポラリー(同時代)の意味にとれば、その範囲はかなり限定され、場合によっては1960年代以後の肉体の復権を主張する流れだけをとらえることも可能であろう。従来の演劇とは異なった「別の」演劇としての現代性はこの方向のほうがより鮮明である。しかし、普通には近代劇の名で総括される自然主義までの演劇に対立して、19世紀末から始まる新しい傾向の演劇を現代演劇の出発点とみなすのが通例である。イプセンや自然主義の演劇は、社会問題を提起し、演劇を容赦ない真実追究の場にしたという点では、劇場に新しい意味を与えたが、形式的には、覗(のぞ)き見舞台という考え方、つまり舞台を現実らしく思わせるというイリュージョニズムを踏襲し深化することになった。
 現実を舞台に忠実に模写し、再現するというこの考え方に対して、19世紀末におこった新ロマン主義、印象主義、象徴主義などの傾向は、少なくとも舞台に現実を超えた空間を求め始める。スイスの舞台美術家アッピアは舞台空間を抽象化することを試み、イギリスの演出家クレイグは舞踊や身ぶりの要素を重視した。ドイツの演出家ラインハルトが演劇には演劇固有のイリュージョンがあると考えたのは、スウェーデンの劇作家ストリンドベリがすでに『夢の劇』(1907)において現実の体系とは違う「夢のリアリティ」の体系を用いようと試みたこととも対応している。この両者は、近代心理劇の要請に従って小劇場を開場したことでも共通点があるが、ラインハルトのほうは、一方では五千人劇場、アリーナ劇場、野外劇、黙劇などという分野にも演劇の可能性を広げた。それはある意味では古代や中世やバロック期の演劇への回帰、あるいは東洋の演劇の再発見であった。こういう演劇性の拡大に伴って、従来は文学の一ジャンルであったドラマ(戯曲)によって支配されていた演劇は、いまやドラマ以外の諸要素、美術、舞踊、音楽などを重視し、文学の桎梏(しっこく)を離れてひとり歩きを始める。それは一方でドラマの解体現象が始まっていたこととも関連がある。言語に対する不信感が生まれたことも、演劇のもつ象徴性を模索させる原因となった。また心理描写を深めていくと、潜在意識という、従来のドラマでは扱えない領域にたどり着くことになる。それはまた個人の性格の一貫性に基づく近代劇の劇構造を成立しにくくすることにもなる。
 客観的な外面描写よりも、主観的な自己の内面の表現を目ざす表現主義がドイツを中心に登場するのは1910年前後であるが、この運動はイタリアの未来主義、フランスの超現実主義、ロシアの形式主義などとも通じる部分があり、国際的なダダの運動は既成芸術の破壊をもっとも果敢に行った。
 表現主義のなかにも、技術文明の画一化現象に対して新しい人間性の回復を希求するテーマが強くみられるが、ロシア革命(1917)以後はプロレタリアを新しい観客層に想定した政治的な演劇が生まれる。アジプロ演劇などもその新しい形であり、ドイツではピスカートルが政治演劇を推進した。ロシア・ソ連のメイエルホリドやタイーロフの演出は、表現形式からみても革命的なものであった。表現主義演劇は美術や音楽や舞踊、マイムなどとも深い関連をもち、絶叫劇やイッヒドラマ(私戯曲)などが劇の対話を解体していったが、その抽象化の傾向が飽きられると、逆に調書やルポルタージュの事実性に寄りかかった新即物主義という傾向も生まれている。1920年代に活躍を始めた劇作家では、ピランデッロ(イタリア)、マヤコフスキー(ソ連)、オニール(アメリカ)、ガルシア・ロルカ(スペイン)、T・S・エリオット(イギリス)、クローデル、ジロドゥー(フランス)、ブレヒト(ドイツ)らが、それぞれ異なった意味からではあるが現代演劇を代表している。
 しかし1930年代は演劇の逆行期で、32年からソ連のジダーノフらが提唱した社会主義リアリズムは、革新的な演劇の試みをすべて「形式主義」の名のもとに断罪した。ドイツではナチスによって表現主義や政治的な演劇に「退廃芸術」という烙印(らくいん)が押された。こうして革新的な演劇の芽は摘み取られ、第二次世界大戦の終わるまで新しい動きはみられなかった。大戦中にも比較的活発だったのはアメリカの演劇で、ミュージカルという新しい形の大衆演劇が開花し、オフ・ブロードウェーの運動が高い水準の戯曲を生み、形式的にもソーントン・ワイルダーのような劇幻想破壊の劇が書かれた。
 しかし概して、戦後に国際的に多く上演された劇作家たちの作風は、ドラマの伝統に忠実であった。戦後思想に強い影響を与えたフランスの実存主義の作家サルトル、カミュや、アヌイ、アメリカのテネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラー、イギリスのT・S・エリオットやクリストファー・フライの詩劇、すこし下ってイギリスのニュー・レフトの劇作家たち(オズボーン、ウェスカー)の作品などは、まだ正統的といえる部分が多いが、1950年代前後になって、まったく新しいいくつかの傾向が生まれる。
 ブレヒトの提唱した「叙事演劇」は、感情同化やカタルシス(浄化)を否定し、異化効果などを通じて、演じられる劇に批判的な態度を観客にとらせて世界変革の認識を促す演劇である。フランスから始まったベケット、イヨネスコらの「不条理劇」は、アンチ・テアトル(反演劇)ともよばれたが、これは人物の個性やストーリーが無視されているからである。イギリスのピンターやアメリカのオルビー、コピットなどもこの線でとらえられた。人間の疎外、孤独、不安が対象にはなるが、ブレヒトとは逆にいっさいの意味づけが拒否されている。しかしまったく逆にみえるこの方向のどちらにもかかわりをもった作家として、ドイツ語系のマックス・フリッシュ、デュレンマット、ペーター・ワイス、ポーランドのムロジェクらをあげることができる。またフランスでは、アルトーを先駆とする「残酷演劇」の提唱や、演劇のすべての要素を総合して舞台に小宇宙を構成しようとする「全体演劇」(この方向はクローデルにもすでに認められるが)の実践が、J・L・バローらによってなされた。
 1960年代の政治的高揚期には、「記録演劇」というジャンルがドイツなどに登場したが、「街頭演劇」に至ると、既成の劇場という施設そのものへの痛撃が加わる。芸術形式の次元でもハプニング劇やハントケの「純粋言語劇」のような試みがふたたびドラマの概念の破壊を試みる。
 いわゆるアンダーグラウンド演劇、小劇場運動の登場も1960年代後半から始まるが、演出中心の演劇から集団作業の演劇への過程を示すのは、アメリカのリビング・シアター、フランスの太陽劇団、ベルリンのシャウビューネなどである。俳優の肉体による表現を重視したポーランドの演出家グロトフスキの演技術は、演劇の別の地平を開くものであり、アメリカのオフ・オフ・ブロードウェーのカフェ・ラ・ママ、パンと人形劇団、ロバート・ウィルソンのビジョン(幻視)の演劇、ドイツのジョージ・タボリ、イギリスのピーター・ブルック、ポーランドのタデウシュ・カントル、ベルギーのヤン・ファーブルらの演出の試みのなかに強く認められるのは感性の復権である。日本でも新劇と対立するアングラ劇が生まれたのは1960年代で、唐十郎(からじゅうろう)、寺山修司、鈴木忠志(ただし)(1939― )、佐藤信(まこと)(1943― )らのグループはそれぞれまったく違った立場にありながら、日常的な市民社会に衝撃を与え、欧米に呼応するというより、さらに独自の発展を遂げ、現在とくにそれ以後の世代ではその衝撃力が風化する傾向すら認められる。いまや舞踊と演劇のパフォーマンスの境界もさだかでなくなった。日本の舞踏が欧米に与えた衝撃的な反響もこれと無縁ではない。
 こうした「別」の演劇は、かつてもっとも革新的だったブレヒトとその対極にある不条理演劇さえ別の側に追いやってしまう勢いである。たとえば日本の不条理作家別役実(べつやくみのる)(1937― )はいまは「新劇」の作家である。一方では、旧態依然たる演劇の根強さも無視できない。また、伝統と革新のはざまのなかで現代的な舞台をつくっているピーター・ホール、ジョン・デクスター、トレバー・ナン(イギリス)、リチャード・シェクナー(アメリカ)、ロジェ・プランション、パトリス・シェロー、アントアーヌ・ビテーズ(フランス)、ペーター・シュタイン、クラウス・パイマン(ドイツ)、ジョルジョ・ストレーレル(イタリア)、イングマール・ベルイマン(スウェーデン)、ユーリイ・リュビーモフ、ゲオルギー・トフストノーゴフ、アナートリー・エーフロス(ロシア)のような多くの演出家がおり、自国内に限らず国際的に活躍している。ポスト・モダンの演劇は、モダンの演劇のもつ論理性、テクストの整合性、啓蒙的な姿勢に対する反措定としての感性重視の演劇である。ブレヒトに告別を告げた後のハイナー・ミュラーの劇はその典型的な現象といえよう。そこではドラマの崩壊につながる脱構築的な現象が起こっている。ドラマの破壊的な扱いだけを事とするような演出家も活躍している。しかし、そう簡単に崩壊し消滅しないところに、演劇そのものに内在する保守性がみられる。日本でいえばアングラ以降の世代にはいわゆる「静かな演劇」が登場してきたし、欧米でも復古的な演劇が現れていないわけではない。ハントケやシュトラウスも外形は古いドラマに近い線に後退しているようだ。そこで、ポスト・モダン的な演劇のトレンド(動向)がいかに拡大しているようにみえようとも、セリフを重視する演劇がそう簡単に破壊の危機にさらされているともいえないのである。ブロードウェー的な商業演劇やミュージカルなどは、基本構造は十年一日のごとくまったく変っていない。日本では翻訳劇の上演はひじょうに減ったが、比較的上演される作家ボンド、ストッパード、シェーファー、エイクボーン、チャーチル(イギリス)、マクナリー、サイモン、クシュナー、マメット(アメリカ)、コルテス、ギィ・フォワシー(フランス)などをみると、基本的なドラマ構造を備えているものが多い。セリフに頼らないパフォーマンス主体の演劇はボーダレス的な国際化現象をうみだしており、各国別の演劇という観念は希薄になりつつある。[岩淵達治]
『『現代世界演劇』17巻・別巻1(1970~72・白水社) ▽マーティン・エスリン著、小田島雄志訳『現代演劇論』(1972・白水社) ▽M・ケスティング著、大島勉・越部暹他訳『現代演劇の展望』(1975・朝日出版社) ▽岩淵達治編『現代演劇101物語』(1996・新書館)』

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