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川上貞奴 かわかみさだやっこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

川上貞奴
かわかみさだやっこ

[生]明治4(1871).7.15. 東京
[没]1946.2.7. 熱海
女優。本名小熊貞。美貌の芸者として知られたが,1891年俳優で興行師の川上音二郎と結婚,以後川上のよき協力者となる。 98年夫とともに渡米。欧米を『武士と芸者』などを売物巡業,このときから貞奴を名のって舞台に立った。 1901~02年再度渡米,帰国後正劇女優として『オセロ』などに出演。 08年帝国女優養成所 (のち帝劇附属技芸学校) を開設。 17年明治座で引退興行をしたのち,一時川上児童音楽劇団を主宰した。

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デジタル大辞泉の解説

かわかみ‐さだやっこ〔かはかみ‐〕【川上貞奴】

[1871~1946]俳優。東京の生まれ。本名、さだ。芸者時代に川上音二郎と結婚。夫とともに欧米を巡業し、女優として舞台に立った。また、帝国女優養成所を設立後進の育成に尽くした。

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百科事典マイペディアの解説

川上貞奴【かわかみさだやっこ】

明治の新演劇(新派)の女優。本名小熊貞。東京生れ。葭(よし)町から奴(やっこ)の名で芸者に出ていたが,川上音二郎と結婚,女優となって海外にも巡演,〈マダム貞奴〉の名で知られた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川上貞奴 かわかみ-さだやっこ

1871-1946 明治-大正時代の女優。
明治4年7月18日生まれ。東京葭(よし)町の芸者となり,明治27年川上音二郎と結婚。32年川上一座とともに渡米,サンフランシスコではじめて舞台にたつ。翌年パリで「マダム貞奴」の名をたかめた。帰国後,川上の正劇の女優として活躍。41年帝国女優養成所を設立。昭和21年12月7日死去。76歳。東京出身。旧姓は小熊。本名は貞。

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朝日日本歴史人物事典の解説

川上貞奴

没年:昭和21.12.7(1946)
生年:明治4.7.18(1871.9.2)
明治大正期の女優。本名貞。東京日本橋の生まれ。初め葭町の芸者で奴を名乗り,伊藤博文や奈良原繁,福沢桃介らと知り合う。明治27(1894)年川上音二郎と結婚。32年に川上一座と共に渡米し,サンフランシスコで初めて女優となる。33年ニューヨーク,ロンドンを経て,パリでマダム貞奴の名を高めた。「芸者と武士」などの演技に魅せられたひとりにジッドがあり,またピカソは素描を残した。36年帰国後は日本の舞台に出演して人気女優になったが,44年に音二郎と死別したのちは次第に劇界から孤立して凋落し,大正7(1918)年引退した。<参考文献>長谷川時雨『近代美人伝』,「貞奴思ひ出話」(『東京朝日新聞』1937年2月22日夕~3月2日夕)

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

江戸・東京人物辞典の解説

川上貞奴

1871〜1946(明治4年〜昭和21年)【女優】芸者から女優に。 「マダム貞奴」と呼ばれ、海外でも人気。明治・大正期の女優。本名は貞。東京都出身。東京日本橋葭町(よしちょう)の芸者時代の1894年(明治27)、川上音二郎と結婚。夫ともに渡米し、貞奴の名で初舞台。次いでヨーロッパを巡業、「マダム貞奴」と呼ばれ人気を得た。帰国後1903年から明治座をはじめ、日本の舞台でも活躍。08年に帝国女優養成所を開設。1917〜18年(大正6〜7)引退興行。意外にも本人は役者が嫌いで、晩年は演劇界と関係しなかった。

出典 財団法人まちみらい千代田江戸・東京人物辞典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

かわかみさだやっこ【川上貞奴】

1871‐1946(明治4‐昭和21)
明治の新演劇(新派)の女優。6歳から東京葭(よし)町の花柳界で育った貞(源氏名は奴(やつこ))は,22歳で川上音二郎と結婚。1899年の川上一座の渡米時にサンフランシスコで初めて舞台に立ち,《道成寺》を踊った。翌年パリでも盛名を馳せ,〈マダム貞奴〉の名は日本でも大きく報道された。日本での舞台出演は,1903年の《オセロ》が最初。スターとして人気を博したが,音二郎没後はしだいに疎んじられ,1917年の《アイーダ》を最後に引退した。

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大辞林 第三版の解説

かわかみさだやっこ【川上貞奴】

1872~1946) 女優。東京の生まれ。本名、小熊貞おぐまさだ。音二郎の妻。欧米を巡業。帝国女優養成所を開設、また川上児童劇団を組織。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川上貞奴
かわかみさだやっこ
(1871―1946)

女優。本名小熊貞。東京・日本橋生まれ。15歳で葭町(よしちょう)の芸者となり、伊藤博文(ひろぶみ)の知己を得た。1891年(明治24)、川上音二郎(おとじろう)と中村座公演の際に知り合って結婚し、経済的に彼を支えた。1899年に音二郎とともに欧米に巡業し初めて女優として舞台を踏んだが、彼女の人気は夫を凌駕(りょうが)し、2年後の再渡欧では東洋のドゥーゼとまでいわれた。帰国後は川上の正劇(せいげき)運動の女優として活躍、1908年(明治41)には帝国女優養成所を主宰して帝劇女優劇の基礎を築いた。1917年(大正6)引退したが、1924年には久留島武彦(くるしまたけひこ)の協力で「川上児童劇団」を発足させ、1932年(昭和7)まで経営にあたった。川上没後、福沢桃介(ももすけ)(福沢諭吉の女婿)が彼女を助けてきたため、世間の批判を受けることもあった。33年に岐阜県鵜沼(うぬま)に貞照寺を建立して入山。昭和21年12月7日、75歳で熱海(あたみ)に没した。[松本伸子]

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世界大百科事典内の川上貞奴の言及

【ハムレット】より

…逍遥訳初版は,もっぱら実演に便宜なように企図したため,訳詞が歌舞伎式,七五調となったと彼自身述懐している。上演面では,土肥春曙と山岸荷葉が明治の華族のお家騒動物に翻案したものを川上音二郎の一座が1903年東京本郷座で上演,葉村年丸(原作のハムレット)を藤沢浅二郎が,おりえ(オフィーリア)を川上貞奴が演じた。原作に忠実な上演は文芸協会設立(1906)以降で,1911年には逍遥訳・演出(配役,ハムレット=土肥春曙,オフィーリア=松井須磨子)により上演された。…

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