俵坂峠
たわらざかとうげ
東彼杵町と佐賀県藤津郡嬉野町の境にある峠。標高一八六メートル。古来より彼杵・嬉野・大村などの諸方面に通じ、戦国期に関所が置かれていたとされ、南に深い谷を隔てて重城が築かれていた。江戸時代は肥前佐賀領と大村領の境目であるため、佐賀領側に番所が置かれた。筑前福岡城主黒田氏らの長崎警備、諸大名の参勤交代などの際もこの峠越えを用いる場合があった。正保国絵図に「俵坂境」から大村城下本町まで五里二八町と記される。元禄四年(一六九一)江戸から長崎に戻るケンペル一行は嬉野から俵坂という小さい村に至り、佐賀藩領境の番所、二本並ぶ標柱を見ている(江戸参府旅行日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 