俵屋宗雪(読み)たわらやそうせつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「俵屋宗雪」の意味・わかりやすい解説

俵屋宗雪
たわらやそうせつ

江戸時代前期の画家寛永 19 (1642) 年には法橋の位にあり,俵屋宗達工房の「伊年」印を用いていたことから,宗達の後継者であったことが認められ,俵屋を称した。寛永末年頃金沢に下り,前田家の御用絵師として活躍。宗雪の後継者と思われるのは喜多川相説で,両者を同一人とする説もあったが,画風から別人とするのが大勢。なお元禄期にもう1人の宗雪がいたことが近年ほぼ明らかにされた。主要作品『秋草図屏風』 (東京国立博物館) ,『竜虎図屏風』 (同) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「俵屋宗雪」の解説

俵屋宗雪 たわらや-そうせつ

?-? 江戸時代前期の画家。
俵屋宗達の子,弟,弟子などとつたえられ,宗達とおなじ伊年(いねん)印をもちいている。寛永19年(1642)以前に法橋(ほっきょう)となる。加賀金沢藩の前田家につかえ,慶安3年前田利治(としはる)の江戸屋敷の襖(ふすま)絵をえがく。代表作に「秋草図屏風(びょうぶ)」(東京国立博物館)。

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世界大百科事典(旧版)内の俵屋宗雪の言及

【俵屋宗達】より

…桃山~江戸初期の画家。生没年不詳。琳派の創始者。使用印に〈伊年〉〈対青〉〈対青軒〉がある。京都の上層町衆出身で,唐織で名を得た織屋の蓮池氏かその別家喜多川氏の一族であったと推定される。早く〈俵屋〉を屋号とする絵屋あるいは扇屋を興して主宰したらしく,磯田道冶の仮名草子《竹斎》によれば,元和年間(1615‐24)京都でその扇面画,源氏絵は非常に評判の高いものであった。すなわち弟子を使って工房制作を行い,俵屋絵として売り出したのである。…

【琳派】より

…光悦の書風は弟子たちに受け継がれ光悦流を形成し,孫の光甫(空中)は絵画,陶芸にも作品を遺した。宗達は弟子を教育して工房的制作を行ったが,その一人と推定される俵屋宗雪が跡を継ぎ,さらに喜多川相説へと受け継がれた。宗雪は加賀の前田家に仕え,相説は金沢を本拠地として多くの草花図を制作した。…

※「俵屋宗雪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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