倉場富三郎(読み)クラバ トミサブロウ

20世紀日本人名事典 「倉場富三郎」の解説

倉場 富三郎
クラバ トミサブロウ

明治〜昭和期の実業家 グラバー邸当主。



生年
明治3年12月8日(1871年)

没年
昭和20(1945)年8月26日

出生地
長崎県長崎市

別名
幼名=新三郎

学歴〔年〕
ペンシルベニア大学医学部予科〔明治25年〕中退

経歴
長崎のグラバー邸とともに知られる英国商人トーマス・ブレイク・グラバーの3番目の子として日本人女性との間に生まれる。明治25年より父が創設したグラバー商会を引き継ぐ形で設立されたホーム・リンガー商会の幹部社員として活躍。日本初の蒸気トロール船の輸入や雲仙ゴルフ場開設など雲仙観光の発展に尽力。明治43年日本トロール水産組合初代組合長。また32年に結成された国際的社交機関・内外倶楽部(出島)の中心メンバーとして日本人と外国人との交流にも努めた。一方ライフワークとして21年間長崎近海の魚介類の分類や研究に取り組み「日本西部及び南部魚類図譜」を作成。太平洋戦争中スパイ行為を恐れた軍の監視下に置かれ、妻の急死も重なって心身が衰弱し、昭和20年原爆投下に続く敗戦後、自宅で首をつり自殺した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「倉場富三郎」の解説

倉場富三郎

没年:昭和20(1945)
生年:明治3(1870)
わが国の汽船トロール漁業創始者。長崎市生まれ。父は英国人貿易商グラヴァー。明治41(1908)年に小型鋼製トロール船深江丸(169トン)を英国より購入し,英国人3人を雇い入れ,五島沖で操業,トロール漁業時代を開く。同43年結成の日本トロール水産組合の初代組合長に就任。学術的功績として大正期に長崎魚市場水揚げの魚類を画家に写生させ,それに学名,地方名を付与した資料,『日本西部及南部魚類図譜』を作成。<参考文献>岡本信男『水産人物百年史』,下瀬隆治編『グラバー二代』

(伊藤康宏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「倉場富三郎」の意味・わかりやすい解説

倉場富三郎
くらばとみさぶろう

[生]明治3(1870).長崎
[没]1945
日本近代トロール漁業の導入者。英名はトム・グラバー。父は幕末長崎で活躍したイギリスの商人 T.B.グラバー,母は蝶々夫人のモデルといわれたツル女。 1908年イギリスから日本初の鋼製トロール漁船を輸入,『深紅丸』と命名してトロール漁業を開始。汽船漁業会社を設立し,10年にできた日本トロール組合の初代組合長になった。晩年は不遇のうちに,第2次世界大戦直後に自殺したと伝えられている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「倉場富三郎」の解説

倉場富三郎 くらば-とみさぶろう

1871*-1945 明治-昭和時代前期の実業家。
明治3年12月8日長崎生まれ。T.B.グラバーの次男。明治40年長崎汽船漁業を設立し,汽船トロール業をおこす。萩原魚仙らに依頼して描写させた魚類図鑑「グラバー図譜」はたかく評価されている。昭和20年8月26日死去。76歳。旧名はトマス=アルバート=グラバー(Thomas Albert Glover)。

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