トロール網を用いて行われる底引網漁業。trawlというのは元来は引回し網一般をさす言葉で,トロール網,トロール漁具をさす名詞としても,トロール網を引く,トロール漁業を行うという意味の動詞としても用いられる。したがって,おもにオッターボードotter board(網口を開くための抵抗板)を用いる底引網だけをさす日本での使い方は,原意からは著しく狭いものであることに留意しておく必要がある(なお,底引網については〈底引網漁業〉の項目を参照されたい)。また,現在は操業上ほとんどトロール漁業と差がない,日本での一艘(いつそう)式機船底引網にあたる漁具・漁業はseineあるいはDanish seineと呼ばれている。seineと呼ばれるものには地引網beach seine,きんちゃく網purse seineがあるが,Danish seineももともとは船を定置して網を引き寄せる引寄せ網から発達した漁業であるためである。
トロール漁業はまず,ヨーロッパで発達した。引網類の発展の過程は世界のどこでも同じで,地引網に始まり,沖へ進出して船引網,手操網となり,これを人力,風力,潮力を利用して短い距離を引く打瀬(うたせ)網へと進んだ。これがさらにビームトロール,二艘引きへと進む。蒸気機関の導入以前にもかなりの発達をとげており,ヨーロッパでは17世紀にはすでにかなりの規模の帆船トロールが活躍していた。張木を用いたビームトロール,二艘引き両方が行われていたが,この両者がイギリスで統合され,長距離航海が可能な帆船ビームトロールが出現することとなる。17世紀末から18世紀初頭に出現したこの漁法はフランス,ベルギー,オランダ,ドイツに伝わり,各所で沿岸漁業と摩擦を起こしながら隆盛に向かった。スマックsmackと呼ばれるこのビームトロール帆船は総トン数30~80トンで5名が乗り組み7~10日の航海を行った。このスマック船団によって北海の開発が進んだのである。19世紀末近く,汽船ビームトロールが急激に台頭し,さらに1892年オッターボードの使用が成功し,汽船トロールが帆船ビームトロールを駆逐することとなる。日本にこれが導入されたのは1905年和歌山沖,06年浦河沖であったが,技術の未熟と沿岸漁民の猛反対で失敗に終わった。08年長崎市の倉場富三郎(T.B. グラバーの子息)はイギリスから169トンの鋼製トロール汽船を購入,同時にイギリス人の漁労長ほか2名を雇い入れ,五島沖で操業,好成績を挙げた。また同じ年,国産の鋼製トロール汽船もでき,やはり好成績を収めた。これ以後,日本も汽船オッタートロール時代に入ることとなる。
この後50年ほどは大型化,機関のディーゼル化が進み,完成されたものになっていくが,技術的に画期的な進歩はなかった。この間のトロールはすべて玄側トロール(サイドトロール)であった。これはもともと漁具は玄側で扱うという原則から来ていたものであり,打瀬網は船の横向きに引くものであった。オッタートロールになっても網を玄側から投入し揚網するものであった。これは著しく人手を要し,労力を要する作業であった。船尾にスリップウェーを設け,投網,揚網を船尾から行うことができるようになったのは第2次大戦後のイギリスの研究の成果であり,1954年最初の実用船尾式トローラーが完成した。この船が一応の成績を挙げ,船尾投網・揚網が玄側投網・揚網よりも技術的容易さ,作業の安全,ウィンチなど機械力導入の容易さを実証したことから,各国とも船尾式トローラーを建造するようになり,現在の船尾式トローラー時代へと進むことになった。
近年はさらに深海へ,また,表中層引きの開発が行われている。表中層引きは1948年デンマークで開発された。二艘引きでニシンを対象にしたものである。北ヨーロッパ3国のほか,西ドイツ,オランダなどでもまもなく行うようになった。同じころ,オッタートロールによる単船中層引きも試みられたが,なかなかうまくいかず,各国での開発努力も下火になった。ドイツだけは開発研究を続け,ついに62年,新しい型の漁具によってひじょうな成功を収めた。日本での中層引きは以西漁場でのタイショウエビを対象としたものだけであった。このときは,底引きと同じ漁具を使用している。現在,中層引きを行っているのは旧ソ連,ドイツ,ノルウェー,スウェーデンなどで,ニシン,アジ,メルルーサ,タラ,オキアミなどを対象としている。日本でも南極オキアミ,北洋の抱卵スケトウダラなどに使われ,好成績を挙げている。
執筆者:清水 誠
トロール漁船は後部作業甲板の改良がなされ,現在の船首楼型の全通二層甲板船となった。船尾式は投網・揚網作業が省力化されて能率的であり,サイドトローラーのように風向きに左右されず,すみやかに大型の網を船上に収納することができる。船体は大型化が可能で4300トン型のフィッシュミール工船式トローラーまで発展したのと同時に,小型底引網漁船でも船尾式が採用されている。一般配置は二層甲板間に漁獲物処理設備があり,中央部には急冷室をもつ。第2甲板下の前部は魚倉,後部は機関室であり,二重底は燃料用タンクになっている。船の総容積に対する魚倉および油タンクの割合は26~40%および12~33%で,小型トローラーほど大きい。網を引き揚げるための後部作業甲板は全長の46~64%の長さをもつ。トロールウィンチは1000~3000mにおよぶワープ(引綱)を各ドラムに収納している。またそのほか作業用の小型ウィンチを多くもっている。マストは3基以上もち,中央の門形マストはコッドエンド(魚捕り)をスリップウェーより引き揚げるために,後部門形マストはコッドエンドをつり上げ漁獲物をその下のフィッシュハッチ(魚倉口)より処理工場に落としこむために使用される。居住区,操舵室および無線室などは船首楼にある。船体は他の漁船に比べ堅牢であり,外板は増厚し,とくに船尾部は追い波によるパンチングおよびオッターボードの衝撃に対し十分な補強がなされている。船型は一般に船速を高めるために船は長く,船幅をやや狭く深さを大きくし,曳網力を大きくするために船尾喫水を大きくする。機関馬力は350トン型で2000馬力,4000トン型で4400馬力と大きい。
→漁船
執筆者:小池 孝知
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
底引網漁業の一種。通常、網口を開口させるために、オッターボードと称する拡網(かくもう)板を網口の前方の左右ロープに取り付けた底引網を1艘(そう)の動力船で引き回し、底生生物を漁獲するオッタートロール漁業をさす。このほかにビームにより網口を開口させたビームトロールもあるが、日本ではビームトロールを使った漁業は行われていない。
ヨーロッパでは1894年ごろにビームトロールからオッタートロールに転換している。日本へは1908年(明治41)にイギリスからオッタートロールが導入された。その後、ディーゼルトローラー(トロール漁船)の出現や、船内急速冷凍装置の改善、船型の大型化などと相まって遠洋漁場へと操業範囲も拡大した。第二次世界大戦後は、急速に発達した科学技術を取り入れ、魚群探知機のほかに各種の漁具監視測器、漁労機械、航海計器を有するなど近代化された。操業方式も、従来は舷(げん)側から投揚(とうよう)網をするサイドトロールであったが、1960年(昭和35)ごろからそれらの操作を船尾のスリップウェイから能率的に行うスターントローラーが増加し、漁獲能力はさらに高まった。その反面、トロール操業には底生生物の幼稚仔(ようちし)の混獲や死亡と海底生息場の改変が伴い、当初から沿岸漁業とも競合してきた。そのためトロール漁業の変遷は沿岸から沖合いへ、さらに遠洋へと外延的な新漁場の開拓とその荒廃の繰り返しでもあった。日本で行われるトロール漁業としては、東部ベーリング海とアラスカ湾を主漁場としてスケトウダラ、カレイ、メヌケを主対象とする北方トロール、東北・北海道沖で操業していた中型機船底引網漁船を北洋へ転換させた旧349トン型スターントローラーでスケトウダラを中心とする北転船、アフリカ北西岸でイカ、タコ、タイなど、アフリカ南岸でメルルーサ、アジ、タイなど、アメリカ北東部からカナダのラブラドルまでの水域でイカ、ニギスなど、ニュージーランド周辺でアジ、メルルーサ、イカ、バラクーダなど、アラビア海でモンゴウイカ、アルゼンチン・チリ沖でメルルーサ、マツイカなどをそれぞれおもな漁獲対象とする南方トロールなどがある。
[笹川康雄・三浦汀介]
『津田初二・中谷三男著『船尾トロール入門』(1981・成山堂書店)』
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