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蝶々夫人 ちょうちょうふじん Madama Butterfly

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蝶々夫人
ちょうちょうふじん
Madama Butterfly

G.プッチーニ作曲,L.イリカと G.ジャコーザの台本による2幕3場のオペラ。作曲年は不明であるが,1904年2月 17日イタリアミラノで初演。日本初演は 21年。長崎を舞台に,アメリカの海軍士官に裏切られた蝶々夫人の悲劇を扱い,当時のヨーロッパ音楽の異国趣味を反映している。

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デジタル大辞泉の解説

ちょうちょうふじん〔テフテフフジン〕【蝶々夫人】

《原題Madame Butterfly
米国の小説家ロングの短編小説。1898年発表。長崎を舞台に、米国海軍士官ピンカートンと結婚した日本娘、蝶々の悲劇を描く。のちベラスコにより戯曲化、さらにプッチーニによりオペラ化された。
を原作とするプッチーニ作曲のオペラ。全2幕。1904年ミラノで初演。第2幕のアリアある晴れた日に」は特に有名。マダムバタフライ

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百科事典マイペディアの解説

蝶々夫人【ちょうちょうふじん】

プッチーニ作曲のオペラ。原題《Madama Butterflyマダム・バタフライ)》。米国の劇作家D.ベラスコ〔1853-1931〕の戯曲(1900年)を原作として1901年−1903年に作曲され,1904年ミラノのスカラ座で初演。
→関連項目ハミング藤原歌劇団

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デジタル大辞泉プラスの解説

蝶々夫人

イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニのイタリア語による全2幕のオペラ(1904)。原題《Madama Butterfly》。長崎を舞台に、米海軍士官ピンカートンと結婚した芸者の蝶々の悲劇を描いた作品。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうちょうふじん【蝶々夫人 Madama Butterfly】

プッチーニ作曲の2幕3場のオペラ。《マダム・バタフライ》の名でも親しまれている。L.イリカとG.ジャコーザの台本により,1904年ミラノのスカラ座で初演。アメリカの作家ロングJohn Luther Long(1861‐1927)が,明治中期の長崎を舞台に書いた小説《蝶々夫人》(1898)を,D.ベラスコが戯曲化したものに基づいている。長崎に寄港したアメリカの海軍士官ピンカートンと結婚した芸者〈蝶々さん〉は,帰国したピンカートンが戻るのを子どもとともに待っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蝶々夫人
ちょうちょうふじん
Madame Butterfly

イタリアの作曲家プッチーニのオペラ。二幕。1904年ミラノのスカラ座で初演。ジョンルーサー・ロングによる同名の小説(1897)が、デイビッド・ベラスコによって戯曲化(1900・ニューヨーク初演)され、これをもとにルイジ・イリッカとジュゼッペ・ジャコーザがイタリア語の台本を作成。物語は同時代の長崎を舞台に展開する国際結婚の悲劇。周囲の反対を押して芸者蝶々さんと結ばれた海軍士官ピンカートンは、彼女と子供を残してアメリカに帰国する。3年後、彼を待ちわびる蝶々夫人の前にピンカートンが妻を伴って現れ、子供を引き取ると申し出、誇りを傷つけられた彼女は自殺して果てる。女主人公の歌唱(アリア「ある晴れた日に」など)を中心に全体を構成したいわゆるプリマドンナ・オペラであり、歌手には高度な技量と体力が要求される。異国情緒を演出するために日本の民謡や童唄(わらべうた)などを数多く引用しているが、それがプッチーニ独自の語法に溶け込んで円熟した作品となっている。わが国では1921年(大正10)に来日のロシア歌劇団が初演。邦人による初演は30年(昭和5)の東京劇場で、日本楽劇協会によって行われた。[三宅幸夫]

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世界大百科事典内の蝶々夫人の言及

【ジャコーザ】より

…彼の作風の変化は,後期ロマン主義からスカピリアトゥーラ派の動きを経てベリズモに至る19世紀後半の文学的状況をそのまま反映している。なお,プッチーニのオペラ《マノン・レスコー》(1893),《ラ・ボエーム》(1896),《トスカ》(1900),《蝶々夫人》(1904)の台本も手がけた。【鷲平 京子】。…

【プッチーニ】より

…1884年最初のオペラを発表。93年3作目のオペラ《マノン・レスコー》で成功を収め,《ラ・ボエーム》(1896),《トスカ》(1900),《蝶々夫人》(1904)と傑作を書き続け,《トゥランドット》(未完。F.アルファーノが完成させて1926年初演)まで10曲のオペラを作曲した。…

【ベラスコ】より

…19世紀末から20世紀にかけての劇壇で大いに力を発揮した。戯曲では,プッチーニのオペラの原作となった《蝶々夫人》(1900)や《黄金の西部の娘》(1905)が有名だが,彼の作品は文学的には高く評価されていない。【喜志 哲雄】。…

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