日本歴史地名大系 「倭文郷」の解説 倭文郷しとりごう 兵庫県:淡路国三原郡倭文郷「和名抄」所載の郷。同書高山寺本は訓を欠くが、伊勢本・東急本は「之止里」と訓ずる。現緑(みどり)町の西端から三原町北端にかけて倭文(しとおり)の地名があり、同地を中心に西淡(せいだん)町北部を含む地域が郷域か。「常磐草」は庄田(しようだ)・長田(ながた)・安住寺(あんじゆうじ)・神道(じんどう)(現緑町)、笥飯野(けいの)・瑞井(みずい)(現西淡町)、流河原(ながれかわはら)(現三原町)、上堺(かみさかい)・下堺(現五色町)の諸村を郷域とする。 倭文郷しとりごう 岡山県:美作国久米郡倭文郷「和名抄」高山寺本に「之止利」の訓がある。倭文川上・中流域の段丘面を中心とする、現久米郡久米町桑上(くわかみ)・桑下一帯と考えられる。天平勝宝九年(七五七)四月七日の西南角領解(正倉院文書)に「家部乙万呂」が「美作国久米郡委文郷戸主家部年足戸口」とみえる。同文書は画師などの名を記したもので、乙万呂ら四名はその端に記されている。おそらく画工司の使部で、倭文郷戸主家部年足らに課せられた課役に関する記載であろう。 倭文郷しとりごう 茨城県:常陸国久慈郡倭文郷「和名抄」に「倭文」と記され、訓を欠く。「常陸国風土記」久慈郡の項に「静織(しどり)の里」があり、「上古の時、綾(しづ)を織る機を知る人あらざりき。時に、此の村に初めて織りき。因りて名づく」と地名説話が記される。 倭文郷しとりごう 鳥取県:因幡国高草郡倭文郷「和名抄」東急本は郷名を「委文」と記し、高山寺本・東急本ともに「之止利」の訓を付す。郷名は織物にかかわる品部倭文部にちなむと考えられる。延喜五年(九〇五)九月一〇日の東大寺領因幡国高庭庄坪付注進状案(東南院文書)の天平勝宝七年(七五五)図注には、北三条草尾田里の治田主として「倭文真弘」の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の倭文郷の言及 【倭文荘】より …美作国久米郡倭文郷(現,岡山県久米郡久米町)に成立した荘園。立荘年次・成立事情は不詳。… ※「倭文郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by