備中松山城跡(読み)びっちゅうまつやまじょうあと

国指定史跡ガイド 「備中松山城跡」の解説

びっちゅうまつやまじょうあと【備中松山城跡】


岡山県高梁(たかはし)市内山下にある城跡別名高梁城。県中西部、高梁川の左岸にそびえる標高487mの臥牛山(がぎゅうざん)に立地し、現存する天守をもつ山城としては最も高い標高約430mの地にある。1956年(昭和31)に国の史跡に指定された。大松山、小松山、天神の丸、前山の4つの峰の一つである小松山山頂の本丸へは、藩主の居館と政庁を兼ねていた麓の御根小屋跡から約1500m、1時間ほどの道のりの山道を経て至る。江戸時代中期に建造された天守、二重櫓(やぐら)、三の平櫓東土塀が現存し、1941年(昭和16)に重要文化財に指定され、復元された本丸南御門・東御門、櫓、土塀などが揃い、標高721mにある岩村城(岐阜県)・標高584mにある高取城(奈良県)とともに日本三大山城の一つとされる。1240年(延応2)、秋庭重信が備中有漢(うかん)郷の地頭となり、大松山に最初の城を築いた。戦国時代には、ここを一大城塞に築き上げた三村元親(もとちか)が1574年(天正2)に毛利氏から離反して織田信長に寝返ったが、城は毛利方の小早川隆景(こばやかわたかかげ)に持久戦の末に落とされ、元親は自害した(備中兵乱)。その後、城は毛利氏の領有するところとなったが、江戸時代には藩主が入れ替わり、1683年(天和3)、水谷(みずのや)勝宗によって3年が仮で修築され、今の天守の姿になった。このような高い山頂部に近世に入っても築城されていることは、地勢のためとはいえきわめて珍しい。JR伯備線備中高梁駅から備北バス「松山城登山口」下車、徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android