光宅寺(読み)こうたくじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「光宅寺」の意味・わかりやすい解説

光宅寺
こうたくじ

中国、江蘇(こうそ)省江寧(こうねい)府(南京(ナンキン))にあった寺。502年(一説には504年)梁(りょう)の武帝が邸宅を改めて仏寺とし、507年僧祐(そうゆう)に無量寿仏(むりょうじゅぶつ)をつくらせて安置した。また『法華経(ほけきょう)』の注釈者法雲(ほううん)を招いて寺主としたため、『法華経』研究の中心として栄えた。このため法雲は光宅寺法雲といわれ、梁の三大法師の一人に数えられた。隋(ずい)代には天台宗の大成者智顗(ちぎ)もこの寺に住し、『仁王経(にんのうぎょう)』『法華経』を講義したため、その寺名は大いに高まり、6世紀における江南屈指の名刹(めいさつ)となったが、のち廃絶した。

鎌田茂雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「光宅寺」の意味・わかりやすい解説

光宅寺
こうたくじ
Guang-zhai-si

中国,江蘇省江寧の寺院。梁の武帝が天監3 (504) 年に自分の旧宮城を寺院に改築して,梁の三大法師の一人といわれた法雲を住職とし,さらに武帝は本寺に金銅大仏を安置した。法雲はここで『法華経』を講義したので,光宅寺の名前が天下に広まった。のち天台智 顗もここで至徳1 (583) 年に『仁王経』『法華経』などを講義したため,6世紀における仏教の大道場として栄えた。

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