光明寺残篇(読み)こうみょうじざんぺん

改訂新版 世界大百科事典 「光明寺残篇」の意味・わかりやすい解説

光明寺残篇 (こうみょうじざんぺん)

伊勢国光明寺所蔵の文書補綴して一書としたもの。文書の写しの部分と日記の部分から成る。南北朝期の成立作者不明。《光明寺蔵書残篇》《軍中日記》などともいうが正式の名称はない。日記は1331年(元弘1)8月の後醍醐天皇奈良への遷幸から同年10月の幕府軍の赤坂城攻めまでを記す。元弘の乱より建武新政に至る時期の歴史展開を知るための根本史料。《群書類従所収
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「光明寺残篇」の意味・わかりやすい解説

光明寺残編
こうみょうじざんぺん

光明寺(三重県伊勢(いせ)市)が1670年(寛文10)焼失したのち、光明寺残存古文書調査の過程で発見された数紙の朽損文書を補綴(ほてい)して1巻としたもの。(1)軍勢交名(きょうみょう)、元弘(げんこう)元年日記、関東御教書(みぎょうしょ)案、(2)後醍醐(ごだいご)天皇綸旨(りんじ)案、(3)後醍醐天皇綸旨案、足利高氏(尊氏)(あしかがたかうじ)請文(うけぶみ)案、(4)足利高氏御教書案、吉見円忠施行(しぎょう)状案、の4種の残簡よりなり、いずれも元弘の変~建武(けんむ)中興の時期の動静を知るための基本史料。光明寺現蔵。『群書類従』巻454所収。

[新田英治]

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世界大百科事典(旧版)内の光明寺残篇の言及

【光明寺】より

…当寺は南朝ゆかりの寺で,結城宗広(ゆうきむねひろ)が当寺に拠って衰退する南朝の再挙を計ったが,むなしく当寺で没したという悲史がある。その関係で,有名な《光明寺残篇》など南朝関係の古文書多数がある。【藤井 学】。…

※「光明寺残篇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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