改訂新版 世界大百科事典 「ウンターワルデン」の意味・わかりやすい解説
ウンターワルデン[州]
Unterwalden
スイス連邦を構成する6番目のカントン(州)。ただし,オプワルデンObwalden(面積491km2,2006年の人口3万3755)とニートワルデンNidwalden(面積276km2,2006年の人口4万0012)に分かれ,二つの半カントンHalbkanton(準州)構成をとる。両準州はそれぞれに独自の憲法・政府をもち,全州議会にも代表を1名ずつ派遣している。ウンターワルデンはウーリ,シュウィーツとともに1291年の〈永久同盟〉を締結し,スイス連邦形成の核となったが,それ以前から2地域に分かれていた。そのうえ,ザンクト・ゴットハルト(サン・ゴタール)峠を通る主要交通路から外れていたこともあって,経済的・政治的に他の2カントンに追従する形にならざるをえなかった。支配領域についても,15世紀にウーリとともにティチーノ地方の征服に加わり,ザンクト・ゴットハルト峠の南に共同支配地を得ただけだった。16世紀の宗教改革にはカトリックにとどまり,1586年には他のカトリック諸州と〈黄金同盟〉を結び,スイス内の反宗教改革にくみした。ナポレオンの傀儡(かいらい)となったヘルベティア共和国時代(1798-1800)にはウーリ,シュウィーツと同一カントンを形成したが,その後は現在に至るまで2半カントンとなっている。ニートワルデンはシュタンス近郊に産業地帯をかかえ,オプワルデンより財政的には優位になっている。現在なおランツゲマインデ(直接民主政住民集会)をウィル村で行っている。1386年のゼンパハの戦の伝説的英雄ウィンケルリートArnold von Winkelriedはこの地の出身と言われる。オプワルデンでもランツゲマインデが実施されているが,20世紀に入ってすでに4度憲法改正による廃止の試みがあったが,住民は存続を決めている。しかし,1974年に婦人参政権を認め,伝統的な場所でランツゲマインデを開催するには集会場所が狭くなり,まだ廃止される可能性が残されている。ブルゴーニュ戦争勝利後のスイス分裂の危機を救い,シュタンスの和約(1481)を結ばせた隠修士ニコラウス・フォン・フリューエNikolaus von Flüeはこの地の支配階級の出であった。
執筆者:森田 安一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報