フランス南東部の旧地方名。イタリア,スイスと国境を接し,アルプスの要地である。主都はシャンベリーChambéry。歴史的にはまずローマ帝国の領土となり,6世紀にはブルグント王国の一部になった。1032年神聖ローマ帝国の領土に統合され,11世紀半ばころから帝国諸侯の一つであるサボイア家の支配するところとなった。フランス革命後,ナポレオンによってフランスに併合され(1792-1813),1860年に最終的にフランス領に編入された。現在この地方は,サボアとオート・サボアの2県に分かれている。大学区はグルノーブル,大司教区はシャンベリー,防衛管区はリヨンのそれぞれの管轄区域に入っている。
西側はローヌ河谷から東側はイタリア国境まで広がるアルプス地方に位置する。そのため,ほとんどの土地が山がちであり,レマン湖岸やローヌ河谷では標高500m以下であるが,他のほとんどの地区は1000mを超えている。標高が概して東側から西側へ向かうに従って低下するため,主要な河川は西方向に流路をとり,ローヌ川へと流れ込む。冬の寒さは厳しく,積雪があって凍結もし,典型的な山岳気候下にある。地形の影響を受けて年間を通じて降水量が多く,針葉樹林に覆われる所が多い。そのため古くから林業が盛んであり,冬季を除いて斜面での牧草栽培が可能であることから牧畜業も活発である。さらに気候が湿潤で,アルプスから流れる川の水量がほぼ一定していることから,水力発電の開発が早くからなされてきた。
自然条件が厳しいにもかかわらず,人口密度は100人/km2を超え,フランスの平均値をしのいでいる。この地方がフランスに統合されてのち1世紀近くは,人口停滞が続いたが,第2次世界大戦後は人口が増加し続け,とくに近年の人口増加は自然増加率の高まりに基因している。同時に,当地方での第2次(とくに製造業)・第3次(とくに観光業)産業の発達に伴って,雇用力が高まり,当地方に人口移動を促した結果,人口の社会増加をみるにいたった。したがって,人口増加とともに都市化が進展し,フランスの山岳地方の中では最も活気がある。
この地方は従来から農業生産に依存する割合が高かった。農業経営は林業と乳牛飼育を主体とした牧畜業を組み合わせたものが卓越していた。牛乳生産を主としていた農家のなかには,チーズ製造や果樹生産に変わるものがわずかずつ増えている。チーズはエメンタール系の大型チーズの製造が大半を占めている。製造業の近年の発達によって,製造業人口率が40%を超えるようになった。小規模な繊維,食品,木工,ねじ・ボルト類,時計の製造などが伝統工業であったが,最近は豊富な電力を基礎にして,電気・化学・金属工業が立地している。とくにアルブ河谷のパッシー水力発電所をはじめ,アルク川のサン・ジャン・ド・モーリエンヌ地方,イゼール川のディーニュに集まる水力発電所と結びついた電気冶金・電気化学工業の発達が著しい。また,伝統工業をもとにした近代的な精密機械工業への転換もみられ,それらの工場はアルブ河谷に沿って立地している。主要な工業はシャンベリーとアヌシーの二大都市に集中しており,それぞれの都市での消費市場に結びついて発達してきた。さらに,エクス・レ・バンや近年ではジュネーブに近いアンヌマスにも工業の発展がみられ,工業生産活動の比重が概して西方へ移動する傾向にある。
近代的な製造業の発達による工業化とともに,この地方の山岳地帯では観光業の進展による観光地化が著しい。イタリアとの陸路は,古くからプティ・サン・ベルナール峠(2188m)とモン・スニ峠(2084m)が利用され,1965年モン・ブランの下にトンネルが開通した。この地方がフランス国内のみならず諸外国と自動車道路網・鉄道網の整備によって結合したために,観光客の流入の増加が著しい。主要な観光地は,シャモニーの河谷をはじめ,レマン湖の南に広がるシャブレ地方,オート・サボア県の南西部のボルヌ地方,アルブ河谷に存在し,夏の登山,冬のスポーツの拠点になるとともに,別荘地も増えている。観光地の発達は,エクス・レ・バン,トノン・レ・バン,エビアン・レ・バンのように,温泉と結びついたものもある。当地方の各地に観光業が発達するに及んで,現在では観光業に従事する人口が製造業人口よりも上回るようになった。大規模な都市が存在しないため,リヨンやグルノーブルの影響を受けてきたが,シャンベリーとアヌシーが工業化によって人口の増加を図り,都市規模を拡大して行政・経済・文化などの諸機能を充実させながら確固たる都市圏を当地方内に形成するようになっている。
執筆者:高橋 伸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス南東部、イタリア国境に接する歴史的地域。おもに現在のフランスのサボア県とオート・サボア県に相当する。イタリア語ではサボイアSavoia。11世紀以後サボイア(サボア)家の領地となり、1860年以後フランス領。
紀元前7世紀ごろよりケルト人が住んでいたが、前2世紀末からローマ人に占領されるようになった。5世紀にはブルグント人、6世紀にはフランク人の支配下に置かれた。9世紀末からブルグント王国に帰属し、1032年に神聖ローマ帝国領に併合された。そしてこれ以後、この地をサボイア家が治めるようになった。サボイア家は、ハプスブルク家とフランスとの対立、神聖ローマ帝国とローマ教会との対立のはざまにあって、綱渡り的な外交政策を通して生き延びた。1792年フランス軍の占領下で開かれた議会は領主制の廃止とともにフランスへの併合を決め、96年ビットリオ・アメデオ3世はこれを認めた。ナポレオン1世の没落によって、サボアはサルデーニャ王国のもとで旧体制に戻ったが、自由主義勢力は旧支配勢力と対立した。フランスへの復帰を希望する人も少なくなかった。イタリア統一運動(リソルジメント)の過程で、ナポレオン3世はサルデーニャの首相カブールから対オーストリア軍事協力と引き換えにサボアとニースの譲渡の密約を得、トリノ条約に基づく1860年の住民投票で、サボアのフランスへの帰属が決まった。第二次世界大戦ではドイツ軍に占領されたが、武装集団マキが組織され、レジスタンス運動が活発であった。
[本池 立]
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