日本大百科全書(ニッポニカ) 「八朔人形」の意味・わかりやすい解説
八朔人形
はっさくにんぎょう
旧暦8月1日の八月節供に供える人形。八朔雛(びな)ともいう。この日を農家では新穀の豊熟を願う田の実(田(た)の面(も))の節供として祝う。西日本に多く、鎌倉時代に始まる行事とされる。また日ごろ庇護(ひご)を受けている「たのむ」人に贈り物をする風習が結び付き、武家、公卿(くぎょう)社会にも広く行われた。江戸時代には白紙でつくった八朔人形を宮中に献じた記録もある。京都では八朔姫瓜(ひめうり)の節供ともよんで、女児が姫瓜におしろいなど塗り、髪や目鼻を描き、人形に仕立てて遊んだ。また、瓜を顔とし、木や竹を着せた雛人形をつくって飾り、酒や赤飯を供えて祝う土地もあった。
現在でも瀬戸内海沿岸地方から九州北部では、この日を祝う行事の一つとして、米の粉で人形をつくり、子供の出世を祈る。広島県尾道(おのみち)市の郷土玩具(がんぐ)「田面船(たのもぶね)」に乗せる田面人形もその例で、穀物の豊作祈願を表す。九州博多(はかた)地方でもかつては八朔雛を贈答にする風習があった。福岡県朝倉(あさくら)市甘木(あまぎ)付近では、八朔に、初節供を迎えた女児のある家庭では八朔雛を飾って祝う風景がみられる。雛は土製の小さな頭に紙製の衣装を着せたもので、長い衣装にはめでたい模様などが描かれている。同県遠賀(おんが)郡芦屋(あしや)町では、同じく初節供の男児には紙製の武者人形を乗せた藁馬(わらうま)、女児にはダンゴビーナとよぶ新粉(しんこ)の雛人形を飾って祝う習俗が残っている。長崎県壱岐(いき)島にも紙製の八朔雛があり、郷土玩具として売られている。
[斎藤良輔]