日本歴史地名大系 「八村」の解説 八村やきようむら 高知県:南国市八村[現在地名]南国市八京(やきよう)小蔵(こぐら)村の東にある山村で、笠(かさ)ノ川(かわ)川の中流域にあたる。寛文七年郷帳(「南路志翼」所収)は「八京村」と記す。「土佐州郡志」に「廿枝郷也、(中略)其土赤、分村半北曰八饗、南曰唐岩、然通曰八饗村、中有八幡社、祭日盛飯於器八以供神、故名之、縦二拾五町許横二拾町許」とある。江戸時代後期には上倉(あげくら)郷の一村となる。天正一六年(一五八八)の廿枝郷八饗唐岩地検帳によると、柿内十兵衛が五町二代余を給地とし、そのほか二町二反二六代余が一四名の給地、二〇代余(一筆)が「御公田」として長宗我部氏直轄地となっている。 八村はちむら 愛知県:岡崎市八村[現在地名]岡崎市新堀(にいぼり)町北は冨永(とみなが)村、東は新堀村、南は小望(こもう)村、西は山崎(やまざき)村(現安城市)に接する。「三河堤」によれば寛永年代(一六二四―四四)以降に山崎村の出郷として民家八戸よりなったという。通称鎌倉街道は碧海(へきかい)台地崖端上の山崎村より、低地の当地を過ぎ新堀から「矢作の宿」へ進んだといわれ、字大辻(おおつじ)の地名がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by