八条宮智仁親王(読み)はちじょうのみやとしひとしんのう

山川 日本史小辞典 改訂新版 「八条宮智仁親王」の解説

八条宮智仁親王
はちじょうのみやとしひとしんのう

1579.1.8~1629.4.7

八条宮(桂宮)初代正親町(おおぎまち)天皇の皇子誠仁(さねひと)親王の第6王子。母は勧修寺晴右(はれみぎ)の女新上東門院晴子。幼称六宮・胡佐麿。豊臣秀吉猶子になったが,1589年(天正17)秀吉の子鶴松の誕生により,同年12月八条宮家を創立した。91年1月親王宣下。1600年(慶長5)細川幽斎から古今伝授うけ,後水尾(ごみずのお)天皇に相伝。御所伝授のはじめとなった。家領の下桂村山荘(現,桂離宮)を造営

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八条宮智仁親王」の解説

八条宮智仁親王 はちじょうのみや-としひとしんのう

智仁親王(としひとしんのう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「八条宮智仁親王」の解説

八条宮智仁親王
はちじょうのみやとしひとしんのう

1579〜1629
江戸初期の皇族
後陽成天皇の弟。四親王家一つ,桂宮の初代となり,別邸として桂離宮を造営した。

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