八浜村(読み)はちはまむら

日本歴史地名大系 「八浜村」の解説

八浜村
はちはまむら

[現在地名]玉野市八浜町八浜

大崎おおさき村の東に位置。北は児島こじま湾に面し、古くより港町として栄え、近世には町並を形成していた。「高倉院厳嶋御幸記」の治承四年(一一八〇)三月二三日条に記す高倉上皇一行の宿泊地「びぜんのくにこじまのとまり」は、一説では当地に比定される。金剛こんごう寺の応永三一年(一四二四)一〇月一五日の増賢置文に「波智浜真言家之初寺」とある。文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」によれば海老・米・小麦大麦を積んだ「八浜」「八潟」からの船が兵庫北関へ入津している。同五年三月二五日の金剛寺への三宅時実寄進状(備前記)には自署に「波智浜政所」と冠しており、「黄薇古簡集」には当地にかかわる同年一〇月三日の細川久信安堵状や延徳三年(一四九一)九月二日の三好之康奉書などを収め、阿波細川氏の治下にあった。後者によると、細川氏によって禁じられていた波佐川はざかわ(現児島郡灘崎町)矢井床を斉藤式部が新たに設定したことに対し、波智浜の住民が抜取りに出、それに対し棹木を多数伐り取られた当地が困惑し訴え、細川氏によって再度矢井設定が禁止されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報