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金剛寺 こんごうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金剛寺
こんごうじ

大阪府河内長野市にある真言宗御室派の寺。正平9=文和3 (1354) 年後村上天皇行在所となったことから天野行宮として知られ,天野寺,女人高野ともいわれる。聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝えられ,永万1 (1165) 年阿観が再興し,承安1 (71) 年後白河法皇により重興。

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デジタル大辞泉の解説

こんごう‐じ〔コンガウ‐〕【金剛寺】

大阪府河内長野市天野町にある真言宗の寺。山号は天野山。天平年間(729~749)行基の開山と伝える。承安元年(1171)から阿観によって再興。後白河法皇の妹八条女院の祈願所となって以来、女人高野ともよばれる。延喜式ほか、国宝・重文を多数所蔵。
東京都日野市高幡にある真言宗の寺。山号は高幡山。創建は大宝年間(701~704)以前、開山は行基と伝える。俗に高幡不動の名で知られる。仁王門・不動堂は重文。

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百科事典マイペディアの解説

金剛寺【こんごうじ】

大阪府河内長野(かわちながの)市にある真言宗御室(おむろ)派の寺。古くから〈女人高野(にょにんこうや)〉と称する。聖武(しょうむ)天皇勅願,行基(ぎょうき)開創と伝えるが,事実上は永万(えいまん)年間(1165年−1166年)高野山の阿観(あかん)上人の入山にはじまり,1178年に金堂・多宝塔が建立された。
→関連項目光明天皇崇光天皇長慶天皇文観

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世界大百科事典 第2版の解説

こんごうじ【金剛寺】

大阪府河内長野市にある真言宗御室派の準別格本山。山号は天野山(あまのさん)。寺伝では聖武天皇の勅願,行基の開創と伝える。金剛寺の事実上の開基は,永万年間(1165‐66)ごろ高野山から阿観上人が入山したことに始まる。1172年(承安2)弘法大師の絵像を転写してはじめて御影供を修し,78年(治承2)には金堂を建立,同じ年建立された多宝塔を91年(建久2)修理して一山を掌握し,開山としての地位をゆるぎないものとした。

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大辞林 第三版の解説

こんごうじ【金剛寺】

大阪府河内長野市天野町にある真言宗の寺。山号は天野山。天平年間(729~749)聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝える。八条女院の帰依以来女人高野と呼ばれ、南北朝時代には後村上天皇の行在所あんざいしよが置かれた。国宝の「延喜式」「延喜式神名帳」を所蔵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金剛寺
こんごうじ

大阪府河内長野(かわちながの)市天野(あまの)町にある真言宗御室(おむろ)派の大本山。山号は天野山。新西国第7番霊場。聖武(しょうむ)天皇の御願(ごがん)により行基の草創。平安末期には一時荒廃したが、高野山(こうやさん)の阿観上人(あかんしょうにん)が後白河(ごしらかわ)法皇の厚い帰依(きえ)と庇護(ひご)によって堂塔を再興。また法皇の妹八条女院(藤原璋子(しょうし))の祈願所となってからは、いっさいの行事を高野山と同様にして、女性が弘法(こうぼう)大師(空海)に縁を結ぶ霊場としたため、爾来(じらい)、女人高野(にょにんこうや)と称されるようになった。南北朝時代には一時、塔頭摩尼院(まにいん)が後村上(ごむらかみ)天皇の行在所となり、天野行宮(あんぐう)、天野殿と称された。その後、歴朝の崇信、武門の帰依も厚く、豊臣(とよとみ)・徳川両家の保護を受け、諸堂の修復・再修がなされた。堂塔は多く、鐘楼、楼門、食堂(じきどう)、金堂、多宝塔、御影堂(みえどう)、観月亭、摩尼院は国の重要文化財である。寺宝には平安時代の剣、『延喜式(えんぎしき)神名帳』、『延喜式』(以上国宝)をはじめ、金堂安置の大日如来(にょらい)・不動明王・降三世(ごうざんぜ)明王の三尊像(伝運慶作)、および日月山水図屏風(びょうぶ)、五秘密曼荼羅(まんだら)、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)像、尊勝曼荼羅図の仏画や、絵画、工芸、書蹟(しょせき)、古写経、古文書、記録などの国の重要文化財が数多く収蔵され、境内は国の史跡・名勝に指定されている。[野村全宏]

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世界大百科事典内の金剛寺の言及

【清酒】より

…すなわち,まず蒸米,こうじ,水でつくった酒母に蒸米,こうじ,水の混合物を2度にわけて順次仕込んでもろみ(醪)を増量する二段仕込法が開発された。15世紀ころ名酒の名をうたわれていた天野酒は,現大阪府河内長野市の天野山金剛寺がつくっていた酒であるが,この技術を採用しており,おそらく酸味のおだやかな点が世にもてはやされたものであろう。15世紀末になると,3度にわけて仕込む三段仕込法が奈良興福寺の塔頭(たつちゆう)多聞院で行われ,さらに16世紀後期には同寺で酒の保存性をよくするための加熱殺菌法を行っている。…

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